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元嘉暦―古墳時代を終息させた(⁉)中国の暦 こよみの博士ひろちか先生
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元嘉暦ってどんな暦?

史料によれば、日本で最初に使われた中国の暦は元嘉暦(げんかれき)です。百済は南朝(420年~589年)の劉氏宋(りゅうしそう)の暦法である元嘉暦を採用していました。わが国は百済と軍事的同盟関係を結んでいたので、百済に暦博士の来日を要請し、毎年の暦をつくってもらっていたのです。早いところでは、『日本書紀』の欽明天皇14(553)年6月の条を見ると、医博士と易博士とともに暦博士の交替派遣を依願しています。それから約半世紀後、推古天皇10(602)年には百済から僧観勒(かんろく)が来朝し、他の書物とともに暦本を貢じたとあります。これが元嘉暦であることはほぼまちがいありません。また、この時、帰化人の子孫である玉陳(たまふる)という書生を観勒につけて暦法を学ばせたとあります。こうして日本人による暦編纂への第一歩が踏み出されました。そして2年後、推古12(604)年正月から暦日を使用し始めています(『政事要略』(1002)中の「儒伝に云う」より)。これが「暦日始用」です。

百済と元嘉暦の関係

元嘉暦は何承天(かしょうてん)によってつくられ、元嘉20(443)年に南朝宋に上表された暦です。実際に使用されたのは2年後の正月からです。元嘉暦の特徴のひとつは、二十四節気の冬至に代わり雨水を計算の基準としていることです。

百済が元嘉暦を採用したのには政治的・軍事的な理由もありました。というのも、高句麗や新羅は中国の北朝と結んでいたため、それに対抗する必要上、南朝に朝貢していたからです。暦法においても高句麗は戊寅暦(ぼいんれき)、新羅は麟徳暦(りんとくれき)を使用していた可能性が高いようです。他方、百済の第25代武寧王(在位501-523)の墓には「年六十二歳、癸卯年五月丙戌朔、七日壬辰崩」とあり、元嘉暦の干支と一致しています。したがって、遅くとも6世紀の初頭には百済で元嘉暦が使われていて、それが6世紀の中頃には確実に欽明天皇など畿内の中枢勢力に伝えられていたことになります(*)。

イラスト1
日本での暦の運用と流れ

日本の正史である『日本書紀』では元嘉暦の初出は持統天皇4(690)年の11月です。そこには「勅を奉りて始めて元嘉暦と儀鳳暦(ぎほうれき)とを行ふ」とあります。岡田芳朗によると、これは両暦の併用の開始であって、元嘉暦の始行ではないとみなされています。実際、元嘉暦による「暦日始用」は先述のように推古朝からであり、考古学的発掘によっても689年にすでに元嘉暦が使用されていたことが実証されています(本コラム第69回「現存する日本最古の暦」参照)。

他方、元嘉暦と併用された儀鳳暦は李淳風によって造暦され、唐の時代、666年から728年まで、63年にわたって使用されています。日本では儀鳳暦とよばれましたが、唐では麟徳年間につくられたことから麟徳暦の名で知られています。麟徳暦は唐の官暦であり、日本ではそれに一本化するまで、両暦併用がしばらくつづいたのです。そして持統天皇(天武天皇の妃)は孫である文武天皇に譲位するにあたり、儀鳳暦に統一したとかんがえられています。新天皇の即位を記念する「代始改元」ならぬ「代始改暦」とでも称すべき暦の移行でした。

イラスト2
近年注目!古墳と暦にまつわる仮説

最後に、元嘉暦にかかわる近年の議論を紹介したいと思います。それは元嘉暦の採用にともなう社会変化にかかわるものです。その社会変化とは古墳の衰退という事態です。歴史学者の鎌田元一によると、元嘉暦の渡来は5世紀の後半にあたる雄略朝、もしくはその直前にさかのぼるとしています。それをうけて考古学の下垣仁志は、元嘉暦によって干支年号が使用されはじめると、それまでの長期保有鏡の副葬や首長の系譜につらなる古墳群が減少し、畿内中枢勢力(大和政権)への奉仕・服属関係の制度的支配を通じて集団の結節が保証されるようになったと論じています。干支年号があれば、鏡や古墳がなくとも歳時の経過を知れるというわけです。古代の暦文化にかかわる興味ぶかい仮説ではないでしょうか。

(*)埼玉県行田市の稲荷山古墳から出土した鉄剣(国宝)に「辛亥年七月中」の銘があり、辛亥年は471年が定説となっています。「ワカタケル大王」の銘は雄略天皇に比定され、畿内中枢勢力の支配権が関東にまで及んでいることがうかがえます。

イラスト3

【参考文献】
岡田芳朗『暦ものがたり』角川ソフィア文庫、2012年。
岡田芳朗(編集代表)『こよみの大事典』朝倉書店、2014年。
鎌田元一「暦と時間」吉川真司他編『列島の古代史』7、岩波書店、2006年。
下垣仁志「日本古代国家形成と時空間」吉川真司・倉本一宏編『日本的時空間の形成』思文閣出版、2017年。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト

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