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今回は2033年問題について学んでみよう! こよみの博士ひろちか先生
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    雪形の美しい季節は4月から6月にかけてやってきます。ただし、出現時期には、冬の積雪量や気温の高低によって、微妙な変動があります。雪形を種まきや田植えなど、農作業の目安としてきたところでは、日々の観察が欠かせません。といっても、それは遠い昔のことで、農事暦にかかわる雪形伝承はその痕跡しか残されていません。

    北アルプスの白馬岳(2932m)は白馬の雪形に由来する命名とされています。代掻き馬だとする伝承もありますが、雪形であることにかわりはありません。中央アルプスの駒ヶ岳(2956m)や南駒ケ岳(2841m)も残雪が駒=馬の形になるところからつけられたようです。これは木曽駒ともよばれ、甲斐駒と対をなし、西駒・東駒という愛称もあります。伊那谷の高遠城から木曽駒ヶ岳をながめていた領主は、駒の雪形があらわれると太鼓を打ち鳴らし、領民に田仕事の開始を告げたといわれています。

    中央自動車道からも駒ヶ岳の雪形をみることができます。しかし、猛スピードで走っている車の車中からは一瞬、その姿を垣間見るのが関の山です。それでも5月中旬、連峰のなかに「島田娘」と「盆踊り娘」を確認することができました。宝剣岳から南にくだる稜線の斜面に、島田髷を結った娘の横顔がシルエットのように浮かんでいました。その左隣には盆踊りに興じる娘のしなやかな姿も認められました。いずれもネガです。雪形にはネガとポジがあり、黒い岩肌のネガと、残雪そのものの白いポジとに区別されています。5月頃まではネガがだんだん大きくなり、その頃からポジは次第に小さくなります。特徴的な雪形も最初はネガ型が多く、雪の消えるころにはポジ型のみとなります。

    その好例が南駒ケ岳の北東にそびえる田切岳の雪形です。5月上旬、まず種まき権兵衛と駒がネガ型のセットであらわれます。笠をかぶりザルをもった権兵衛の右隣に馬が首を左横に振って立っています。これは田植えや、アワ・ヒエの種まきの目安とされたそうです。そして、雪解けがさらに進み、6月上旬になると、こんどはポジの飛龍が姿をあらわします。龍が里にむかって翼を広げ、舞い下りていく格好となります。ちょうどそのころ、更に南の尾根にはポジの白鳥が空高く舞い上がっていく形も同時にみることができます。飛龍と白鳥のポジのセットが雪形の最後を締めくくるのです。これはまだ見たことがなく、いちど実見したいものです。

    ところで、これまで雪形という言葉をつかってきましたが、これは比較的新しい表現です。民俗学のなかでは「残雪絵」という言い方もありました。雪形が一般化したのは田淵行男の『山の紋章―雪形』(学習研究社、1981)という記念碑的な大著によるところがおおきいのです。山岳写真家でもある博物学者の田淵は全国の雪形を311かぞえあげ、そのうち130はすでに不明となっていると記しましたが、昨今のホームページを見ると、430をこえる雪形がリストアップされています。

    田淵行男は雪形を農事暦であると同時に山岳美でもあると形容しました。戦後、北アルプスの山麓、安曇野に移り住んだ田淵は雪形伝承の行く末を悲観し、次のように述べています。「わが国特有な民俗として郷土の山を飾る紋章雪形が、その栄光の歴史を閉じようとしているばかりか、その栄光の伝承さえ人皆の心の中から消えようとしている」、と。たしかに農事暦の伝承は消えゆくばかりですが、山岳美のほうは復興の兆しがみられます。というのも、大町市などで雪形にちなんだまつりやイベントを実施するようになったからです。安曇野には田淵行男記念館もあり、かれの足跡をうけつぐ装置も健在です。

開花や動物の出現も自然暦には不可欠でした。しかし、雪形は春の農事暦の花形でした。「春耕秋収を記して年紀となす」(『魏志倭人伝』)と軽蔑されていた時代から、頼りになる存在だったにちがいありません。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト