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アメリカ先住民の「ホライズン・カレンダー」

今回はホライズンカレンダーについて学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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ホライズン・カレンダーは地平線や水平線を意味するホライズンから命名されたものです。ホライズンとは空と大地(ないし海)が接しているように見える境界線のことなので、広義には山の稜線もふくまれます。先回のコラムでインカの暦をサミット(山頂)・カレンダーと勝手に形容しましたが、それもホライズン・カレンダーの一種にほかなりません。

この種のカレンダーは日の出・日の入りの観察にもとづくので、基本的に天文暦といえますが、自然の景観に左右されるので、普遍的にどこでも通用するというわけではありません。特定の地点から眺めたホライズン上の太陽の動きを追って、季節の移り変わりや農耕に適した時期をはかるものだからです。まことに単純で、平凡なためか、これまであまり注目されてきませんでした。しかも、考古学的には、天文台のような特定の地点、つまりどこで観察したかを示す証拠が出にくいのです。しかしながら、民族学的には、貴重な記録が少なからず残されてきました。

たとえばアメリカの南西部にプエブロ・インディアンとよばれる人びとがいます。ホピやズニが代表的な民族ですが、石と土のアパート形式の家屋に住むので、スペイン人たちはプエブロ(村)と名づけました。砂漠地帯に暮らすホピにとっては降雨が死活問題であり、それを期待する儀礼が欠かせませんでした。各村には太陽の観察者がいて、独自のカレンダーをもっていたとかんがえられます。シモポヴィ村で調査した記録(1931)によると、ほぼ水平の地平線上で、とくに夏至のところに祭りのマークが付けられています。もっとも、夏至以前の西暦4月から6月にかけてトウモロコシや豆などの植え付けがあり、待ち望んだ夏至を祝い、その4日後ならばさらにトウモロコシを植え付けてもよく、ほどなく夏の雨の時期がやってきます。その後、7月の末から8月の初めにかけて早稲のトウモロコシが成熟します。そして8月の末頃、笛の踊りがあり、収穫の最盛期は9月の終わり頃となります。冬至には儀礼はおこなわれますが、農耕とは関係しません。野良仕事の開始は2月頃からです。当時のホピの人たちは春分や秋分をあまり重視していなかったとみえ、この図への記載はありません。

天神祭

ホライズン・カレンダーは太陽暦の1年の周期をはかるには適していますが、年の積み重ねを記録することはできません。目的はあくまでも農耕との関係であり、儀礼の時期を決めることにあったとかんがえられます。とはいえ、ホライズン・カレンダーだけで十分だったというわけではありません。なぜなら、プエブロ・インディアンの遠い先史時代の先祖と目されるアナサジの遺跡から、天文学者や考古学者は窓や門から太陽のさしこむ光と影ではかる暦の痕跡を突き止めているからです。民族学者もまた月の満ち欠けをつかって儀礼のタイミングをはかる習俗を記録しています。

さらにもうひとつ、ホピにもズニにもカレンダー・スティックとよばれる暦棒をつくる習慣がありました。たとえばワシントンD.C.のスミソニアン博物館に所蔵されているものは30㎝から45㎝位の長さで、丸い部分と平らに削った部分に分かれ、それぞれに刻みがつけられています。丸いところの刻みは15、平らなところの平行の刻みは17です。その上方には丸いくぼみが一つあり、その上下にそれぞれ7つと3つの切り込みがあります。謎めいた棒ですが、年・月・日を刻んだものでしょうか。

カレンダー

【 参考文献 】
Michael Zeilik “Keeping the sacred and planting calendar: archaeoastronomy in the Pueblo southeast” in A. F. Aveni (ed.) World Archaeoastronomy. Cambridge University Press, 1989.

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト