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三嶋暦-京暦に次ぐ古い伝統

今回は三嶋暦について学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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三嶋暦(みしまごよみ)はいわゆる地方暦です。江戸時代、伊豆半島の付け根にあたる三島でつくられ、伊豆国と相模国だけに流通していました。江戸の初期までは東海地方や関東甲信越まで広がっていたのですが、伊勢暦(いせごよみ)との競合を避けるため、幕府の裁定により、二国に限定されてしまったのです。

鎌倉時代からの造暦伝承もありますが、文献上最古の記録は義堂周信(ぎどうしゅうしん)という禅僧による「熱海に浴す。けだし三島暦は、この日を以て上巳節(じょうしせつ。旧暦3月3日の祝い)となす」(1374)という記述です。現存する暦としては栃木県の足利学校に収蔵されている、古写本の表紙の裏張りに使われたもの(1437)があり、わたしも実見しています。このように三嶋暦はすくなくとも室町時代までさかのぼることができ、京暦に次ぐ木版印刷の伝統を誇っています。

三嶋暦はまたおもわぬところでも有名です。それは茶道の世界で珍重される高麗茶碗(こうらいちゃわん)との関連です。その一部の茶碗の文様が三嶋暦の仮名の崩し文字に似ているところから、日本では「三嶋手(みしまで)」とか「暦手(こよみで)」と名づけられました。それらの高麗茶碗は室町末期に慶尚南道からもたらされ、単純に「みしま」とか「こよみ」とも呼ばれていました。「三嶋暦師の館」でもその実物を見ることができます。

「三嶋暦師の館」とは代々造暦にたずさわってきた河合家の建物のことです。それは特殊な瓦葺(かわらぶ)きで、めずらしい破風(はふ)をもつ、漆喰(しっくい)塗りの真壁(しんかべ)づくりで、国の登録有形文化財となっています。2005年からは三嶋暦に関する資料を展示し、一般公開しています。また、「三嶋暦の会」がつくられ、来館者への案内や暦の印刷体験指導など、さまざまな活動をおこなっています。

縦書きの三嶋暦に似せた現代風のカレンダーづくりもそのひとつです。A4版の「現代版 三嶋暦」は中折れの壁掛けカレンダーですが、新暦を主体にしながらも、旧暦がわかるように丁寧な解説がなされています。また年中行事や全国の主な祭礼に関する欄もあり、さらに三島市近辺の独自の七十二候―たとえば、富士山 降雪始まる―や三嶋大社の行事などの記載もあり、地元に暮らす人びとにはさらに便利にできています。年についても西暦、平成、干支にくわえて皇紀もあり、2016年の暦には昭和91年、大正105年、明治149年といった年号も入っています。同じ内容で小型のA6版もあり、カバンやポケットに忍ばせることもできます。ちなみに、2015年版はおよそ3000部近くが売れたそうです。

現代版三嶋暦はまた三嶋大社で挙式したカップルにも記念品として贈られ、好評を博しているそうです。三嶋大社と河合家は古くから切っても切れない縁で結ばれており、現在でもそれは続いています。三嶋大社の祭神は大山祇命(おおやまずみのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)の二柱であり、大阪府高槻市の三島鴨神社にまつられたのが発端とされています。賀茂氏には主に3つの系統がありますが、後にその賀茂氏のなかから陰陽師で造暦にかかわる賀茂氏が生まれ、河合家の先祖もその一人と考えられています。

いずれにしろ河合家は長年続いた家系であり、現在の当主龍明氏は53代目です。当主は会社勤めを定年退職したのち、「三嶋暦師の館」を拠点に、暦を文化遺産ととらえ、みずから暦文化の振興に一役買っています。

【参考文献】
三嶋暦の会編『三嶋暦とせせらぎのまち―旧暦は生きている―』新評論、2015年。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト