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十二支の申-猿文化の古今東西

今回は月齢の記号について学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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6月10日の「時の記念日」にちなんで時計の話題をひとつ。

「からくり儀右衛門(ぎえもん)」こと田中久重はのちに東芝の創業者となりますが、ペリー来航の2年前(1851年)、高さ60センチ、重さ38キロの萬歳自鳴鐘(まんねんじめいしょう)と称される世界に二つとない万年時計をつくりました。それは江戸の科学技術の粋を集めた傑作として知られ、上野の国立科学博物館(科博)に展示されています。その時計は螺鈿(らでん)や彫金の装飾もさりながら、不定時法に対応した技術で高い評価を受けています。

不定時法とは明治改暦まで使われていた時間法です。現在、われわれは1日は24時間、1時間は60分、1分は60秒という均等な時間分割、すなわち定時法で暮らしています。しかしながら、旧暦では夏と冬では昼と夜の長さがちがうように、一刻(いっこく)の時間も季節によって異なっていました。一刻とは昼と夜をそれぞれ6等分した時間の単位のことです。夏至の頃だと昼の一刻は約165分、夜の一刻は約75分でした。昼の一刻は長く、夜の一刻と比べると90分もの差があったのです。

江戸時代の機械時計である和時計では、不定時法をどのように処理していたのでしょうか。もっとも簡単な方法では、文字盤の文字(数字)の間隔を季節によって広げたり、狭めたりして対処していました。割駒式とよばれるものです。すこし高度な方法としては、天符という振子の原理を応用した調速装置が考案されました。一丁天府は昼と夜に1日2回、天符の左右にぶらさげた重りの位置を手を使って変えることで対応しました。さらに、その煩わしさを克服するべく、二丁天符では昼用天符と夜用天符を独立させ、時間を調節していました。しかも自動で昼と夜を季節ごとの時間の変化に合わせていたのです。実際には、1年を24に割り、およそ15日ごとに速度に変化を与えていました。つまり、二十四節気に対応するように不定時法の調整をおこなったのです。

田中久重はからくりの技術を応用し、ゼンマイ仕掛けで割駒式の豪華な時計をつくったのですが、そこに特殊な部品と技術をしのびこませました。それが虫歯車です。わずか7ミリほどの虫に似た形状をした部品です。その歯車は8つの歯をもっていますが、取り付けの角度と間隔が一定でなく、時計回りと反時計回りを交互にくりかえし、季節変化に対応した不定時法の時を刻むことができました。田中久重はその歯車を手作業で製作し、さらに1回ゼンマイを巻けば1年もつと宣伝したのです

萬歳自鳴鐘には6個の時間表示があります。ひとつはこれまで説明してきた①割駒式和時計です。それ以外にも②二十四節気文字盤、③七曜と時打ちの表示、④十干と十二支による日付の表示、⑤漢数字による旧暦の表示と2色に塗り分けられた球体による月齢の表示、それに⑥フランス製(一説ではスイス製)の洋時計を取り付けました。さらに天頂部には、正確な日本地図上に太陽や月の日周運動を示す天球儀(プラネタリウム)を加えました。

冒頭で「世界に二つとない万年時計」として紹介しましたが、実は二つあります。というのは、東芝科学館50周年を記念して科博の複製品がつくられ、同館で展示されているからです。本物は2006年に重要文化財に指定され、科博の常設展示品となっていますが、もうひとつその複製が川崎の東芝科学館で供覧に付されているというわけです。

ところで、不定時法はヨーロッパでも使われていました。しかし、中世に正確な時刻を表示できる機械時計が発明されてから、次第に「定時法」に切り替えられていきました。日本では、ヨーロッパの機械時計がもたらされたのを機に、不定時法にあわせた改良を加え、和時計を発達させたのです。その最高傑作が田中久重の萬歳自鳴鐘にほかなりません。

【参考文献】
NHKテレビテキスト『あっぱれ!江戸のテクノロジー』(講師:鈴木一義)NHK出版、2011年。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。
著書に本コラムの2年分をまとめた『ひろちか先生に学ぶこよみの学校』(つくばね舎,2015)ほか多数。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト