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十二支の申-猿文化の古今東西

今回は月齢の記号について学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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入梅も半夏生も日本で生まれた雑節のひとつです。半夏生は七十二候にも入っていますが、雑節には節分、彼岸、社日、八十八夜、土用、二百十日などがあり、いずれも暮らしと深くつながっています。その意味で入梅と半夏生はとくに水田稲作の目安となる暦日といえるでしょう。なぜなら、この時期、水田に水をひき、田植えにいそしむことが、農作業の課題であったからです。梅雨入りを待って田植えをし、半夏生までに田植えを済ませることがひとつの目処になっていました。ほとんど雨の降らない空梅雨(からつゆ)は田植えのタイミングや稲の生育をさまたげるので、農家にとってはありがたくないことでした。

入梅や半夏生が暦に記載されるようになったのは渋川春海の貞享暦(1685)からです。入梅の定義は「芒種後の最初の壬(みずのえ)の日」でした。水と発音が同じところから、そう定めたのでしょう。芒種の日が十干の壬だった場合、初期の頃は混乱したようですが、しだいに芒種当日を最初の壬をみなすようになりました。そして半夏生の場合は、夏至から数えて11日目としていました。つまり、夏至の日の10日後ですから、夏至の日の十干が甲(きのえ)であれば、次の甲ということになります。

もちろん芒種や夏至は二十四節気ですから、十干ではなく、天文学的に定義されます。天保暦(1844)では、芒種は太陽黄経が75度、夏至は90度となります(地球から見た太陽の通り道である黄道の一周を360度とし、黄経は春分点の0度から夏至の90度、秋分の180度、冬至の270度とまわり、ふたたび春分にもどる)。それにしたがい、入梅は80度、半夏生は100度と定められました。つまり天保暦から十干は入梅や半夏生の定義から外されてしまったのです。

さて、梅雨にはさまざまな語源説があり、梅の実が熟す時期という説もあります。中国でも梅雨と書き、梅と関連づけられますが、ふるくは霉雨とも書いていたので、カビとの関連があります。日本でもカビを意味する黴雨(ばいう)という言いかたがあります。半夏生のほうも、半夏(ハンゲ、ハゲン)という薬草の生える時期という説や、半分白くなって化粧しているようなハンゲショウ(カタシログサ)にちなんでいるという説もあって、定説はないようです。

とくに半夏生は7月2日頃にあたり、作付けの時期と深く関連し、食べ物にも地方ごとに特質がみられます。たとえば、島根県の石見地方では半夏生の前に大豆をまき、半夏生後には小豆と粟をまけといわれていました。神奈川県藤沢市では半夏生の後で田植えをすると1穂で3粒減ずるといわれました。「半夏半作」ということわざもあります。また、半夏生の日には農作業をせず休日とするところも少なくありません。食べ物に関しては、鹿児島の桜島では小麦の団子を食べ、大阪府河内周辺ではハゲダコといって蛸を食べる習慣があります。蛸の8本足にあやかり、稲の根が根付くという縁起をかついでいるのです。福井県のハゲッショサバのように鯖を食べる地域もあります。讃岐の農村ではうどんを食べ、長野県小川村では芋汁を食べるそうです。

入梅、夏至、半夏生は太陽黄経でいうとそれぞれ80度、90度、100度にあたり、日が年間で最も長く、しかも梅雨時という特徴をそなえています。それが田植えの時期と重なり、半夏生でひと息つき、栄養も摂取して、本格的な夏を迎えることになっていました。日が長いことは、逆にいうと夜が短いことになります。それをあらわす季語が短夜(みじかよ)です。 小倉百人一首に採択された清原深養父(きよはらのふかやぶ)の歌に、宵だと思っているうちに明けてしまったと短夜を詠(よ)んでいるものがあります。

藤原定家の和歌にも短い夏の夜を詠んだ次の一首があります。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。
著書に本コラムの2年分をまとめた『ひろちか先生に学ぶこよみの学校』(つくばね舎,2015)ほか多数。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト