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西洋絵画をひろめた壁掛けカレンダー―旗手はルノアール

今回は西洋絵画のルーツについて学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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日本人が西洋絵画に親しむようになって150年。意外と知られていないのが、カレンダーの果たした重要な役割です。ヨーロッパ絵画の名作を美術館で楽しむだけでなく、家庭や職場、あるいは病院や官庁においても飽きずに眺めることができるようになったのは、カレンダーのおかげです。教科書にのっているような名画を身近で鑑賞できるようになったのも、カレンダーなればこそ、です。もらったカレンダーを壁に貼っておくだけで、日本人はどれだけ洋風の嗜好になじんできたのでしょうか。

そんな素朴な印象や疑問に答を与えてくれる論文が最近あらわれました。フランス文化を専攻する美術史の分野からです。筆者は女性の若手研究者のようです。彼女がとりあげたのは年末に銀行や企業がお歳暮がわりに配る「企業カレンダー」です。そこでは全国カレンダー展(主催:日本印刷工業会、印刷時報社、後援:通商産業省)の出品作を掲載した業界紙『カレンダーの研究』が考察の対象となっています。

全国カレンダー展は1950年からはじまり、大手の金融機関や上場企業から出品された1000点あまりの作品を評価・顕彰しています。顕著な特徴のひとつは、銀行が顧客に無償配布するカレンダーがその頃は1枚物に限定されていて、西洋絵画、わけてもフランスの画家のものが多く、ルノアールがもっとも高い人気を博していた、ということです。お堅い銀行が幅広い顧客層に無料で大量に配る1枚の壁掛けカレンダーは年間を通じて眺めてもらう必要があり、その図柄としては西洋の名画の右にでるものはなく、とくに女性や子供の肖像が親しまれ、柔らかく落ち着いたタッチのルノアールがひときわ好まれていたようです。ただし、ルノアールのふくよかな裸婦像は注意深く避けられていました。

1970年代の頃はルノワールのほかにもロートレック、ゴーギャン、アングル、マネ、ユトリロ、ゴッホ、マティス、ルオー、モディリアニなどの作品が選ばれていますが、80年代になるとマリー=ローランサンの作品が新たに浮上してきています。「モナリザ」や「ミロのヴィーナス」も時折採用されていました。

銀行のカレンダーに対し大手企業のそれはかならずしも西洋絵画にこだわっていたわけではありません。会社の主力製品を売り込む宣伝媒体として使う場合もあれば、イメージ戦略のひとつとして先鋭的なデザインを打ち出す場合もありました。1975年の企業カレンダー750点を分析した調査によると、絵柄の素材としてつかわれた割合は、写真が57.9%、美術作品の複製が22.4%、デザイン19.7%となっています。しかし、業界別にみると、金融では50.0%、保険では56.0%が美術品の複製を選んでいます。

西洋絵画は明治期に日本にもたらされましたが、油絵の落ち着き先は定まらず、時には「油絵の見世物」に展示されていたようです。油絵を座敷に掛ける者はおらず、木戸銭を払って見る見世物であった、と当時の評論家・内田魯庵は嘆いています。いまやマンションでは床の間が消え、軸物の需要は低下の一途をたどっています。しかし、実物の絵画が壁面を独占しているわけではありません。名画カレンダーもそれなりに存在感を維持していると考えられます。それを実証的な研究で裏付ける必要はありますが。

なお、全国カレンダー展は今でも実施されています。主催は日本印刷産業連合会とフジサンケイビジネスアイで、後援に経済産業省などが名を連ね、全国カレンダー出版協同組合連合会も協賛しています。

戦後における企業カレンダーを見ずして日本における西洋絵画の普及を語るなかれ!文化の担い手としてのカレンダーにあらためて注目する必要がありそうです。

【参考文献】
阿部明日香「『西洋絵画のイメージ』普及と日本のカレンダー」『フランス文化研究』47号、獨協大学外国語学部、2016。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。
著書に本コラムの2年分をまとめた『ひろちか先生に学ぶこよみの学校』(つくばね舎,2015)ほか多数。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト