立春も過ぎると、新年度に向けて、環境がみるみる変わったり、慌ただしい日が続きます。私も例にたがわず、それでも季節の移ろいを感じ取る余裕は、忘れずに持っていたいもの。今だと、ご近所の庭先でそれは見事な枝ぶりの梅の木があって、蕾がほころぶのを微笑ましく眺めています。枝先から、弾ける笑みのような咲きぶり。メジロのつがいが、春を告げに来る姿を時折見かけます。敏感に春の香りを感じとるのは、鳥たちも人も同じかもしれません。

酒蔵では、早くも〝甑倒し〟を迎えたという声をちらほらと聞き始めました。甑倒しとは、お米を蒸す道具である甑が、今期もその役目を終え、横に倒して洗える状態になること。その後も、仕込んだ醪を搾ったり、気が抜けない作業は続きますが、仕込みの段階を無事に終えられたことを喜び、神様に感謝の奉告をします。酒蔵によっては、その日に蔵の家族一同でお祝いの宴を催すことも。 仕込み中の酒蔵では、麹菌に悪さをするという納豆を食べることが厳禁ですが、この日ばかりは楽しみにしていた納豆を家族一同で食べるという微笑ましいエピソードもありました。

そんな時、ある蔵人さんが「うちも明日は〝斗瓶取り〟で…」という会話をするのを耳にしました。〝斗瓶取り〟とは、酒袋に醪を入れて、小さなタンクに吊るし、醪の重さの圧力によって滴り落ちた滴を斗瓶に集めとったもの。搾り過程を、ひとつひとつ手作業によって行うので、蔵では少量生産なことが多く、特に高価なお酒に用いられるので、作業にはより一層の緊張感が漂うのだとか。私も初めて飲んだ時、繊細で華やかな味わいに感動したことを覚えています。飲み手には〝しずく酒〟という呼び名のほうが親しまれているかもしれません。美しい響きの名前そのままに、蔵人さんの苦労と想いの詰まったお酒です。

雪の日が多かった今年の冬。私も、関西で、雪に覆われた酒蔵を何度か尋ねる機会がありました。古い酒蔵ならではの、風情ある雪景色。凛とした冬の空気を纏い、一心に酒造りに励む蔵人たち。待ち遠しい春は、もうすぐそこまで来ています。

立春朝搾りは、立春を祝い、その日の早朝に搾りあがったお酒で、神主さんのお祓いを受けたあと、その日のうちに出荷され、飲み手のもとへと届けられます。
現在、この取り組みに加盟している全国の酒蔵では、立春の日に、一斉にお酒を搾ります。立春の日に、一番おいしい状態で仕上がるよう、酒造りをする蔵人さんの苦労は計り知れません。限定流通で、ほぼ予約しない限りは手に入らないのですが、限られた地元の飲食店などでは、その日のうちにお店で出されることも。
うっとりと酔いしれる、年に一度の楽しみです。

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