シャリシャリとした茗荷の歯ごたえ。日本ではおなじみの食べ物ですが、意外なことに食用として栽培しているのは日本だけだそうです。古くは『魏志倭人伝』や『本草和名』にも登場し、「めが」と呼ばれていたようです。「芽香」「芽赤」の意味でしょうか。
東京・向島に、江戸時代から続く「めうがや」という誂え足袋のお店があります。もちろん、これは「みょうがや」と読むのですが、その名の由来は一六五九年(万治二年)に創業した本店の家紋が、茗荷だったからということのようです。
足袋といえば、私の大好きな山東京伝の『四時交加』の夏の候に、こんな記述があります。
「足袋屋の砧は秋を需(まつ)かとおもハる」
裸足で過ごす人が多くなる夏は、足袋屋さんもあがったり。足袋屋特有の音であったトントンと砧を打つ音も、途絶えたり、間延びしたりして、時間が止まったような夏の暑さを感じさせるものであったのでしょう。 茗荷の家紋は、日本十大家紋のひとつとされています。神仏の加護を意味する「冥加」に通じることから、寺社や武家に好まれ、そのほとんどが「抱き茗荷」のアレンジで、二つの茗荷が寄り添っているような愛らしいデザインです。地中に育つ、ふっくらとした美しい自然界のカタチは見事で、それだけで生きている喜びを感じさせてくれます。
茗荷が家紋や神紋に用いられたのは、茗荷が古くから妙薬として活用されてきたことも、関係しているのかもしれません。解熱、咳止め、食欲不振、胃腸炎、口内炎、むくみなどを改善することが知られ、患部に直接、湿布することもあったようです。いずれも疲れがでやすい晩夏にぴったりの効能です。
茗荷を食べ過ぎると物忘れするという逸話は、江戸時代から落語になったりしていますが、それだけ身近なものでもあったのでしょう。実際には脳を活性化し、α波を発生させる効果があるそうです。α波が出るとリラックスするとはいえますが、ストレスや緊張の多い現代人にとっては、むしろ頭もスッキリして、クリアになるのではないでしょうか。茗荷にはホルモンバランスをととのえる働きもあり、さまざまな薬効のある、日本ならではの香味野菜です。
江戸では、早稲田の茗荷に人気があったそうです。現在の早稲田大学の近辺から、広い範囲に渡って一面の茗荷畑が広がっていたといいます。大隈重信はその広大な畑を借り入れて、大学を設立したのだとか。文京区茗荷谷町は昭和41年に小日向の町名に変更され、茗荷谷という地名は存在しなくなりましたが、丸ノ内線の駅名に「茗荷谷駅」として、その名前が残されています。
「鎌倉の波に早稲田の付け合わせ」という川柳は、鎌倉から荷揚げされた鰹に早稲田の茗荷を付けるのが、江戸っ子好みの食べ合わせだったからだそうで、早稲田の茗荷は大きくて、赤みがあり、香りがよいと評判で、人気があったといいます。近年、「早稲田みょうが」は江戸東京野菜として認証され、数軒の農家でわずかながら栽培されているようです。
冷や奴やそうめんの薬味、味噌汁の具や、ぬか漬けは、江戸時代から好まれていたメニューです。前回、紹介した茄子に茗荷のシンプルなお味噌汁は、夏でも食欲の出る一品ではないでしょうか。
おすすめの一品は、江戸っ子も大好きなお茶漬け、芳飯(ほうはん)です。茗荷などの香味野菜や干した小魚などを盛り合わせて、出し汁をかけただけのもの。土用の時期には、春夏秋冬と土用をなぞらえた五種盛りにすると、故実書には書かれています。