春は汐の干満がもっとも大きくなり、潮干狩りの好機を迎えます。汐干月にちなみ、料理の向付けや茶席の香合にも、しばしば貝が用いられて春を象ります。海の神秘と多様性に魅せられた若冲は、一枚の絵に百二十種の貝を描き尽しました。
カルタの原形とされる貝合わせは、最良の伴侶に恵まれるようにという願いをこめて女子の遊具となり、対の蛤を入れた貝桶は江戸時代、もっとも重要な嫁入り道具になりました。こんにちも蛤のお吸い物は寿ぎの象徴です。
食卓にあがる美しい浅利の模様も、あらためて眺めてみると、ひとつとして同じものがなく、愛おしく感じます。浅利の産卵は冬をのぞく一年を通してありますが、海水温度が20度前後になる春と秋にもっとも多くなるようです。
産卵直前のときがもっとも身が太って、栄養があり、旨味成分のコハク酸が多くなるため、美味しく感じます。ミネラルが豊富な春の貝は、ご馳走です。肝機能の働きを助け、エネルギーの代謝をあげるタウリンもたっぷり補給できるので、春の養生法としても理に叶った食べ物です。
江戸時代、浅利は庶民に人気の食材で、出汁が要らず、味噌を溶くだけで手早くできる浅利の味噌汁が好まれました。「深川めし」は当時大量に採れたアオヤギや浅利などのすまし汁をご飯にかけて食べる、ぶっかけ飯でした。油揚げや大根など、各家庭で工夫して食べられていたようです。以前にも書きましたが、春の食養生のひとつは、酢の物を食べることです。貝類を酢みそで合えたヌタも、さっぱりとして食欲をそそる春らしい旬の味です。
干潟は天然の浄化槽。河川から流れこむ窒素やリンの半分は干潟に棲息する生物によって浄化され、それらを餌にする鳥たちがさらに湾の外に運び出す重要な役割を果たしています。海を浄化してくれる貝への感謝をこめて、今年の『和暦日々是好日』では江戸時代の「貝の図」を掲載しています。