


白分(はくぶん)と黒分(こくぶん)はインドの暦法に起源をもち、東南アジアにもひろがっています。白分とは満月に向かう半月間をさし、黒分とは新月に向かう半月間のことをいいます。月が満ちて白くなっていく期間と、月が欠けて黒くなっていく期間を色で対比しているわけです。それに対し、東アジアには半月単位の月齢に特別な呼び方はありません。

インドでは白分(シュクラ・パクシャ)と黒分(クリシュナ・パクシャ)は1ヵ月をどう定義するかによって、おおきく異なります。というのも、ひと月のはじまりを朔(さく、月の出ない日、新月)だけとするのが中国ですが、インドにはもうひとつ、望(ぼう、満月の日)からはじまるひと月があるからです。つまり、朔(アマーワーシャ)から朔をひと月とするアマーンタ法と、望(プールニマ)から望への期間を1ヵ月とするプールニマーンタ法が存在するのです。言い換えると、「晦日(みそか)おわり」の暦法と「満月おわり」の暦法が併存するということです。地域的には、アマーンタ法はマハーラーシュトラ州など南インドの各州、西インドのグジャラート州、それにネパールなどで採用されています。これに対し、それ以外の北部や東部の州ではプールニマーンタ法が普及しています。そのため白分の時は同じ月名ですが、黒分になると1ヵ月ずれた月名となってしまうのです。インドでは日付は同じでも、月名は異なるという事態が生じているのです。たとえば、アマーンタ法のアールシュヴィナ月黒分の11日は、プールニマーンタ法のカールティカ月黒分の11日となってしまうのです。これは国土の広さとは関係なく、暦法のちがいです。


白分と黒分をさらにややこしくするのが閏月(うるうづき)です。メトン周期で知られるように、太陰太陽暦ではおよそ19年に7回の頻度で閏月を入れます。しかし、その入れ方は暦によって異なります。中国では本来の月の後に閏月をもうけますが、インドでは逆に本来の月の前に閏月を置きます。中国や日本で閏3月と言えば正規の3月(弥生)のあとにくると決まっています。しかし、インドではチャイトラ月(1月)のあとにヴァイシャーカ月(2月)がきますが、閏月は閏ヴァイシャーカ月としてヴァイシャーカ月の前に入るのです。ちなみに閏のことはアディカを呼びます。
「晦日おわり」の閏月は次のように配されます。

しかし、「満月おわり」には2つの異なった挿入の仕方があります。図示すると以下のようになります。


このように「満月おわり(2)」になると、本来の月のなかに閏月が割り込む格好になります。

東南アジア大陸部でもインド暦の影響を受け、白分と黒分の区別があります。ビルマ(ミャンマー)では朔の翌日から望の前日までの13日(小の月)ないし14日(大の月)を白分(ラザン)といい、望の翌日から望の前日までの13日(小の月)ないし14日(大の月)を黒分(ラゾゥ)と呼んでいます。インドの暦法のアマーンタ法に従っているわけです。タイでも白分と黒分の区別があり、やはりアマーンタ法に則っています。
ところで、インド暦の白分1日は日本や中国の朔日(ついたち)にあたるかというと、1日ずれているのです。なぜかというと、インドでは朔の日を前の月の黒分の最終日、つまり晦日(みそか)とするからです。日本や中国では日食は朔日と決まっていますが、インドでは30日に起きます。また、満月も白分の15日となるはずですが、白分の15日だったり、黒分の1日だったりします。もっとも、日本の旧暦でも満月は16日だったり、まれに17日の場合もあります。その理由はひと月がきっちり30日ではなく、29.53日であることに起因しています。大の月(30日)と小の月(29日)という苦しまぎれ(?)も月の気まぐれ(?)によるのです。

【参考文献】
岡田芳朗『アジアの暦』大修館書店、2002年。
杉本良男「天空が支配する暦 インド」『国際交流』99号、2003年。
杉本良男「南アジア・東南アジアの暦」岡田芳朗ほか編『暦の大事典』朝倉書店、2014年。
矢野道雄『占星術師たちのインド―暦と占いの文化』中公新書、1992年。

日本カレンダー暦文化振興協会 理事長
中牧 弘允
国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。
著書に本コラムの2年分をまとめた『ひろちか先生に学ぶこよみの学校』(つくばね舎,2015)ほか多数。