



インドの「月」に「晦日おわり」と「満月おわり」があることはすでに述べました(第101回)。どちらにしても、それは太陰月(チャンドラマーサ)です。朔望月と言うこともありますが、月が地球を一周する期間を意味しています。ところが、インドの「月」には太陰月のほかに太陽月(サウラマーサ)があるのです。
太陽月のほうは黄道12宮に対応しています。黄道とは太陽の通り道です。それを12の部分に分けたのは古代バビロニア人ですが、やがてギリシャに伝わり、後述するヒッパルコス以降、春分点を出発点とし30度ずつ12等分するようになりました。そしてギリシャからインドに12宮の観念が伝播したのです。しかも占星術をともなって伝わりました。

インドの黄道12宮はメーシャ(白羊宮、おひつじ座)からはじまります。太陽がメーシャという宮に入った時が新しい月です。これが太陽月で、12ヵ月あります。最初はメーシャ、次いでヴリシャン(金牛宮、おうし座)、ミトゥナ(双子宮、ふたご座)、カルカ(巨蟹宮、かに座)、シンハ(獅子宮、しし座)、カニヤー(処女宮、おとめ座)、トゥラ(天秤宮、てんびん座)、ヴリシュチカ(天蠍宮、さそり座)、ダヌス(人馬宮、いて座)、マカラ(磨羯宮、やぎ座)、クンバ(宝瓶宮、みずがめ座)、ミーナ(双魚宮、うお座)と続きます。

ただし、ギリシャとインドでは3つのちがいがあります。まず、ミトゥナは仲睦まじき男女を指しますが、双子は男の兄弟です。つぎに、人馬は上半身が人で弓をつがえ、下半身は馬ですが、ダヌスは弓を意味するだけです。そして磨羯(まから)は上半身が山羊で、下半身は海獣ですが、インドでは下半身だけをとっていて、マカラとはワニのことです。

もうひとつギリシャとインドの相違は歳差(さいさ)にあります。歳差とは地球の自転軸の北の方向が、ちょうど独楽のように頭を振って回転することに起因する現象です。ギリシャでは紀元前140年頃、天文学者のヒッパルコスが発見しました。その歳差のため、黄道と恒星の位置が次第にズレていくのですが、ギリシャではそれを考慮し、インドではそれを無視しました。もちろんインドの天文学者が歳差(アヤナ)を知らなかったわけではなく、背景の恒星のほうを優先したのです。そして恒星の天空に固定された1点を座標の原点として12宮に分割したのは紀元4~5世紀の頃でした。その頃はギリシャとインドはほぼ同じ座標にあったのですが、72年に1度移動するため、現在では両者に23度半ほどのズレがあり、星占いに影を落としています。

インドでは太陽が12宮の境を越える点をサンクラーンティと称し、そこから新しい太陽月がはじまります。1年のはじまりはメーシャ・サンクランティで、現在は西暦の4月13日に固定されています。ほんらいはギリシャとおなじとすれば、春分の日に対応すべきなのですが、歳差を無視する恒星年を採用しているため、西暦とは半月以上ずれてしまったのです。

他方、太陰暦の月はチャイトラにはじまり、ヴァイシャーカ、ジャイシュタ、アーシャーダ、シュラーワナ、バードラパダ、アーシュヴィナ、カールッティカ、マールガシールシャ、パウシャ、マーガ、パールグナと続きます。この月名自体は「晦日おわり」でも「満月おわり」でも同一です。
インドでは年は太陽暦、月は太陰暦にしたがうことを基本としています。しかしながら、黄道12宮にもとづく恒星年と太陽月があり、年月の数え方をいっそう複雑にしているのです。
【参考文献】
杉本良男「南アジア・東南アジアの暦」岡田芳朗ほか編『暦の大事典』朝倉書店、2014年。
矢野道雄『占星術師たちのインド―暦と占いの文化』中公新書、1992年

日本カレンダー暦文化振興協会 理事長
中牧 弘允
国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。
著書に本コラムの2年分をまとめた『ひろちか先生に学ぶこよみの学校』(つくばね舎,2015)ほか多数。