



家庭から出るごみは分別して収集するという体制がしかれてずいぶん時がたちました。いつごろからかと思って調べてみると、1991年の「廃棄物処理法」の一部改正と「再生資源利用促進法」にたどりつきました。その頃から再生利用、リサイクルという考えが浸透し、分別ごみの収集が自治体によってそれぞれ推進されることになりました。

他方、1990年、「入国管理法」の改正があり、ブラジルやペルーなど南米からの日系人が逆流するという、いわゆるデカセギの波がおこりました。外国人労働者の流入を主に日系人に限定して開放するという国家の政策です。その結果、在日外国人の人口は急増しましたが、現場での対応は企業や自治体に任され、さまざまな混乱や葛藤が生じました。


その混乱のひとつに分別ごみの問題がありました。とりわけデカセギの在日・滞日外国人にとっては面倒この上ない事柄だったからです。まず、日本語を片言で話すことはできても、漢字を読めない人たちが大半を占めていました。次に、出身国ではまだ分別ごみの収集という体制が整っていませんでした。ブラジルでは、ごみの収集に協力した住民には野菜などとの交換券を配るというような行政サービスが先端的な取り組みとして評価されていた時代です。そして最後に、複雑きわまりない分別に南米出身者は嫌気がさしたことでしょう。

ブラジル人が集住した団地ではごみの分別、夜間の騒音、路上駐車などによるトラブルが頻発し、ごみコンテナへの放火というような事件も発生しました。自治体がとった対応はポルトガル語のできる通訳や交番職員の派遣など多岐にわたりましたが、分別ごみに関しては多言語カレンダーの発行と配布という窮余の一策が講じられました。

その一例として、大阪府寝屋川市が作成した2003年の多言語ごみ収集カレンダーを紹介してみましょう。そこでは英語、中国語、ハングル、ポルトガル語の4種類がすくなくとも存在していました。自治体によってはスペイン語やフィリピン語のものを用意しているところもあります。燃えるごみ」「燃えないごみ」「カンとビン」「ペットボトル」「プラスチックごみ」「大型ごみ(有料)」などの表示をはじめ、ピクトグラムとイラストで懇切丁寧な説明がなされています。 目的は分別と収集なので、月日と週日の表示が基本です。国民の祝日は赤の数字でマークされていますが、その名称は不問(ふもん)に付(ふ)されています。

ごみカレンダーの行政用語は統一されていません。「分別収集カレンダー」「家庭ごみ収集(日)カレンダー」「家庭ごみ・資源収集カレンダー」「ごみ・資源物収集カレンダー」など微妙なちがいがみられます。しかし、「ごみ」はひらがな、「ゴミだし」ではなく「ごみ収集」であり、「日程」や「スケジュール」ではなく「カレンダー」が基本です。アメリカの例を見るとスケジュールとカレンダーを使い分けていますが、ブラジルでは日本とおなじくカレンダーのみです。

昨今は紙媒体の分別カレンダーは減少し、ネットで検索できるようになっています。これは日本だけでなく、アメリカでもブラジルでも同様です。カラフルな分別ごみ収集カレンダーを自治体のホームページからプリントアウトすれば、一件落着というわけです。

何はともあれ、多言語によるごみ収集カレンダーに生活や文化が多言語化に向かっている確実な証拠を見出すことができます。その一方で、日本社会に定着した日系ブラジル人が分別ごみに目を白黒することもなくなったことでしょう。

日本カレンダー暦文化振興協会 理事長
中牧 弘允
国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。