
国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉
教授。吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営
人類学。
断食月のラマダーンは西の夕空に三日月、もっと正確に言うと糸のように細い月が見えたときからはじまります。三日目の月ではなく、新しい月という意味での新月です。したがって、新しい一日もそのときから開始されるのです。日没がイスラーム暦では一日のはじまりで、おわりなのです。


われわれはふつう、日の出から一日がはじまると思いこんでいます。しかし、グレゴリオ暦では厳密にいうと深夜零時に新しい日に突入します。日の出を指標とするのは慣習にほかなりません。旧暦とよばれる太陰太陽暦でも時計の針が子(ね)の刻を指した時に一日がスタートします。子(ね)は言うまでもなく十二支の最初にあたります。
中東では通念として一日は日没にはじまり日没におわるので、そのことをウッカリわすれると、とくに夜が一日遅れとなりかねません。たとえば水曜日の「夜9時」に約束をしたとします。その「水曜日」は西暦の火曜日の日没から水曜日の日没となるので、実際は火曜日の夜9時(21 : 00)ということになります。西暦の水曜日の夜9時に行っても、「待ち人来たらず」、あるいは「あとのまつり」となってしまいます。
もっとも学校や官庁、ホテルや銀行などでは西暦時間がまかり通っているので、事態はいささか複雑です。中東を旅行するときには、イスラーム暦とグレゴリオ暦の時間を区別して適応しなくてはなりません。


とくに注意をはらう必要のあるのが礼拝時間です。イスラームでは1日5回の礼拝が定められています。最初はファジル、日の出前におこないます。次が正午のズフル、太陽が頭頂にあるときから自分の影が背丈の倍になるまでのあいだにしなくてはなりません。3番目がアスル、日没までに済ませなくてはいけません。4回目がマグリブ、日没から夕焼けが消える前までになされます。そして最後がイシャー、寝床に入る前までにおこなえばよいとされています。
このように礼拝は太陽の運行と関連づけられています。しかし、一日ならびにひと月は月の満ち欠けを指標としています。イスラーム暦は太陽との調整なしに月にのみ依存した太陰暦です。ところが、時刻に関しては日時計にたよりきっています。背丈の影が2倍というのは「人時計」とよぶのがふさわしいかもしれません。礼拝時間は時計による科学的な指標を採用していません。日出、日没、正午もきっちり定めているわけではありません。クルアーンによれば、むしろ、そうした厳密さは不信心の輩がおこなってきた行為としていましめています。とはいえ、実際のカレンダーや日めくりを見ると、1日5回の礼拝時間と日の出の時刻を都市ごとに記載した一覧表が載っています。それを目安としてゆったりとボツボツ暮らすことがもとめられているようです。
