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御堂関白記-具注暦の日記 こよみの博士ひろちか先生
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占い本の経典!?

宿曜経(しゅくようきょう、すくようきょう)は密教の経典です。806年、空海が唐から持ち帰ったもののひとつですが、経典とはいっても占い本、つまり占星術の指南書とみたほうがいいかもしれません。なぜならそこにはインドの占星術が中国語に翻訳されて盛り込まれていたからです。しかも、西洋の十二宮や七曜など、暦に関連した事柄もふんだんに取り込まれていました。

インドの占星術「宿」と「曜」

インドにおける占星術は伝来の星占いとヘレニズムのホロスコープ占星術とが融合して確立しました。構成要素として重要なのは「宿(しゅく)」と「曜」です。宿とは月がとどまる星の宿のことです。月はおよそ27・3日で恒星上を一周しますが、月の軌道の周辺にある星々を宿泊場所に見たてています。古代インドの星宿(せいしゅく)はヘレニズムの影響を受けて27になりました。他方、曜のほうは、惑星にかかわります。紀元前2世紀のはじめにギリシャで1日を7つの惑星が支配するという観念が生まれ、さらに1日の最初の時間を支配する惑星がその日全体を支配するという考えに発展し、日、月、火、水、木、金、土という順序が確立しました。当時、太陽と月は惑星とみなされていたのです。

イラスト1

古代インドの宿と曜はもっぱら占いのためにもちいられました。それがインド人の僧不空によって8世紀の中頃、唐にもたらされ、中国語の経典がつくられました。これが『宿曜経』、正式には『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』といわれるものです。文殊菩薩や諸仙人が説くところの吉凶・日時・善悪にかかわる宿と曜を組み合わせた御経というわけです。

「宿曜経」のその後と活用

空海につづき、天台宗の円仁と円珍も宿曜経を請来しましたが、本格的に使われるようになったのは、一世紀半も経ってのことでした。というのも、957年に天台僧日延が符天暦(ふてんれき)を持ち帰り、ようやく天体の位置計算ができるようになってからです。ただし符天暦自体は中国で民間暦の地位しか与えられていなかったため、日本でも官暦に採用されることはありませんでした。日延の弟子筋が宿曜師となり、一時期、暦家と共同で造暦にかかわったことがあるだけです。

宿曜師やかれらが奉じた宿曜道はその後、陰陽道に吸収されていきました。とはいえ、こんにちまで密教占星術として命脈を保っています。おびただしい数の占い本が出版されているだけでなく、ネットでも検索することができます。ためしに筆者の生年月日を入れてみたところ、本命宿は参宿(オリオン座の3つの星)と出てきました。サイトでは次のような性格診断がなされています。
出典:宿曜占星術八雲院(https://yakumoin.net/

イラスト2

どれだけ当たっているかわかりませんが、参宿の原典は次の19文字です。
  法合猛悪梗戻瞋好 合口舌毒害心硬臨事不怯

曜のほうは誕生日の曜日で占います。ちなみに木曜日の特徴は以下のとおりです。
出典:宿曜占星術八雲院(https://yakumoin.net/

イラスト3

インドでは現在でも占いが盛んで、とくに結婚に際しては占星術による相性診断が不可欠のようです。日本でも宿曜道は密教占星術として隠れた人気を保っています。

【参考文献】
暦の会編『暦の百科事典』新人物往来社、1986年。
矢野道雄『占星術師たちのインド―暦と占いの文化』中公新書、1992年。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト

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