



群馬県大泉町はブラジルタウンの異名をもつ町です。人口約4万人の大泉町には約15%の外国人が住んでいます。なかでもブラジル人の比率が高く、人口の約1割を占めています。富士重工や味の素、三洋電機などの工場で働くブラジル人が増えたのは言うまでもなく1990年の入管法改正にともなった現象です。「小さな商店」を意味するキタンジーニャも1991年に開業していますが、2005年発行のカレンダーには大泉町のイラストタッチの地図がのっています。キタンジーニャ・プラザは東武鉄道西小泉駅前に位置し、在日ブラジル人向けの商品をあつかう店としては最大級でした。カレンダーには「ようこそ大泉」「ブラジルタウンを知ろう」というキャッチフレーズがみられます。肝心の暦のほうには日本とブラジルの祝日がのっていて、このカレンダー1枚あれば、日本とブラジルの時間(暦)を生き、身近な空間(地図)で暮らすのに不便は感じなかったはずです。


他方、在日ブラジル人のあいだでもっとも有名な引越し業者が2005年に発行したカレンダーは良質の紙を使い、A4サイズで12枚の月表がつき、1枚ものが多いカレンダーのなかでは豪華さで群を抜いていました。A4へのこだわりは顧客へのダイレクトメールと同様、発送が便利だという理由によります。群馬、静岡、愛知、ブラジルに営業所と倉庫があり、幅広く輸送業に従事することをPRしています。日本地図では地域が色分けされ、都道府県名がローマ字で表記されています。「役立つ電話番号」の一覧には警察、消防、天気予報をはじめ病院、空港、入国管理局、ブラジル大使館、ブラジル領事館、支援団体などにくわえ、ポルトガル語で相談にのってくれる精神科医までリストアップされています。月表は月名も曜日も英語表記であり、制作者は「グローバル」をめざしたと語っていましたが、「おしゃれ」「格好良さ」「高級感」をかもしだすと解する研究者もいます。

長野県のブラジル系企業が共同で制作した2005年のカレンダーも入手できました。企画者はアマゾン川河口のベレン市出身のツジ兄弟です。戦後、アマゾンに入植した「辻移民」の立役者の子孫です。日伯両国の地図のまわりには国旗や鳥(コンゴウインコとタンチョウヅル)、人口、面積、州名、州都、都道府県名、県庁所在地などが対比され、いかにも日伯友好を謳(うた)っているようですが、よく見ると長野県の拡大地図があり、松本城の写真が東京タワーとともに選ばれています。地域密着の戦略はあきらかです。しかし、なぜここまで詳細な地図が必要なのでしょうか。その理由は、ふたつあります。ひとつはブラジルから主に出稼ぎでやってきた日系人たちは日本の地図に明るくないからです。もうひとつの理由は、日本で生まれた子どもたちはブラジルを知らないからです。その子らのためにカレンダーは教育的な意味をもっているのです。


最後に紹介したいのは、浜松駅前にある在日ブラジル人向けのスーパーマーケットが2004年に発行したカレンダーです。それは日本文化の干支にこだわり、自己啓発型のメッセージを発信する媒体(ばいたい)となっています。2004年は申(さる)年だったので「見ざる」「聞かざる」「言わざる」の三猿をあしらい、ポルトガル語で「幸せへの第一歩は自分のことを笑える術を学ぶことである」と書き入れました。2005年には酉(とり)年にちなんで鶏を描き、「鶏は自己表現が豊かで、議論が大好きだ。自分の考えに自信をもつので、可能ならば、自分の考え方について世界中を説得させるように努力するだろう」と書き込んでいます。いずれもオーナーが編み出したポルトガル語の表現です。しかし残念なことに、このスーパーでは近年カレンダーの発行を中止しました。なぜなら、2008年のリーマンショック後、多くの在日ブラジル人が本国に戻ってしまい、スーパーやレストランのビジネスは継続していても、カレンダーを発行する余裕がなくなってしまったからです。


日本カレンダー暦文化振興協会 理事長
中牧 弘允
国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。