
国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉
教授。吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営
人類学。
パンとブドウ酒(ワイン)はキリスト教のミサ (聖餐)につかわれる聖なる食べ物と飲み物です。パンはキリストの体(肉)を、ブドウ酒はキリストの血を象徴しています。福音書にはキリストが弟子たちにそれらを分与したことが記されています。そしてミサは十字架上で犠牲となったキリストにあずかる儀式としておこなわれます。


キリスト教にとってワインとの関係はミサにとどまるものではありません。なぜなら守護聖人と深いつながりがあるからです。たとえば聖ヴィンセント(祝日は1月22日)はフランス語の名称ヴァンサンVincentがvin(ワイン)をふくむことから、ブドウ園主やワイン商人の守護聖人となっています。フランス東部のオート・ソーヌ県にはこの聖人の日にブドウ栽培者たちのお祭りがあるそうです。また、聖女ジュヌヴィエーヴ(祝日は1月3日)は盲目が奇跡的に治ったことで眼疾の聖人となっていますが、ブドウ園主たちは彼女の涙がワインに変わったとの伝承にもとづき、守護聖人としてあがめています。
フランス北東部のアルザス地方では、ブドウの枝の剪定は聖母潔斎の日(2月2日)にはじめ、聖ジョルジュの日(4月23日)までに終えるようにしていました。しかし、その2日後の聖マルコの日(4月25日)までは遅霜のおそれがあるとして、聖マルコにも加護を祈っていました。霜枯れはブドウ栽培にかぎらず農作業全般にとっても脅威でした。そのため5月11日から13日にかけてのローカルな聖人は「氷の三聖人」とよばれ、冷害をふせぐ聖人とみなされていました。そして5月25日の聖ウルバンの祝日をもって冷害の危機的期間が終わるとする慣習がありました。


その聖ウルバンこそアルザスのブドウ栽培者にとっては中世以来、最大の守護聖人でした。ただし、フランスのカレンダーに記載されている5月25日の聖人名としては聖女ソフィーが載っています。聖ウルバンはローカルな信仰を集める聖人なのでしょう。中世の時代、この日に聖ウルバンの聖人像を教会から引き出し、ブドウの葉でつくった冠をかぶらせ、町を練り歩いたのです。おもしろいことに、聖人像の行列は16世紀になると過度の熱狂につつまれ、しばしば教会から禁止されるようになりました。というのも、聖人像は酒蔵や居酒屋にワインをもとめて巡回し、酒樽につけられたり、ワインを頭からかけられたりし、ブドウの収穫が悪かったときの翌年などは、尻打ちや平手打ちなどの仕打ちを受けたようです。泉に投げ込まれることもありました。つまりは人びとの怨念をはらすスケープゴート(贖罪の山羊)にされたのです。
このようにカトリックの教会暦にあわせてブドウの栽培は聖人の日とつながっていました。11月11日の聖マルティンの日にはワイン祭りがドイツやオーストリアでくりひろげられます。最近発見されたブリューゲルの「聖マルティンのワイン祭り」ではフランダース地方のそれが描かれています。フランスのブルゴーニュ地方ではボジョレー・ヌーボーが11月の第3木曜日に解禁となります。


ワイン暦とはいっても印刷物のカレンダーがあるわけではありません。同様に、ワイン年度も存在しますが、カレンダーが実在するかどうかは知りません。たとえば、フランスの植民地であったアルジェリアでは、10月にはじまり9月に終わるのがワイン年度です。通常の農業年度が9月はじまりなのに対し、ワイン年度は収穫が9月末までつづくことから、10月になっているのです。もっと正確に栽培と醸造を区別して言うと、1年目はブドウ暦で2年目がワイン暦となります。しかし、アルジェリアのワイン生産は1962年の独立後、フランス人のワイン製造者が帰国し、次第に下火となっていきました。アルコール飲料を口にしないムスリムが多数を占めることと、石油収入が経済を牽引するようになったからでもあります。ワイン年度の存在理由もいちじるしく喪失したにちがいありません。
蔵持不三也『ワインの民族誌』筑摩書房、1988。
宮治一雄「アルジェリアのワイン暦」『国際交流』99号、国際交流基金、2003。