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国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉
教授。吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営
人類学。

エジプトの女王クレオパトラは楊貴妃とならぶ「絶世の美女」と目されています。これには異論もあり、美貌は比類なきものではなく、社交の魔力にたけていたとする記述もあります ( ローマの伝記作家プルタルコス ) 。クレオパトラ美女説に一役かったのはフランスの哲学者パスカルです。有名な随想『パンセ』のなかで、「クレオパトラの鼻がもうすこし低かったら、世界の歴史の局面は変わっていただろう」と述べています。「低かったら」と訳されているフランス語の言葉 court はじつは「短い」です。また、「局面」のところも、鼻にひっかけて顔 face という単語を使っているのです。つまりパスカルは鼻の大小など、ささいなことで歴史の局面が変わるということを修辞的に言いたかったようです。

実際、魅惑的なクレオパトラと出会ったローマの独裁官ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)はエジプトの太陽暦をローマに持ち帰り、改暦を断行しました。これがユリウス暦です。年を 365 日とし、 4 年に一度閏日をもうける暦法です。ただし、改暦の紀元前 46 年には日数を調節するため、閏月を 2 ヵ月くわえ、年末の 2 月にすでに置かれていた閏月と合わせて、445日という長い年にしました。かれはそれを「ウルティムス・アヌス・コンフジオス」(最後の乱れた年)と名付けました。しかし、人びとはカエサルの改革の混乱ぶりを揶揄して、たんに「乱れた年」として記憶しました。

カエサルは同時に年初をマルティス(3月)から冬至に近いヤヌアリウス(1月)にしました。しかし、月の名前は昔のままにしておきました。マルティスから数えて7番目がセプテンベル(9月)、8番目がオクトベル(10月)です。ちなみに、タコのことを英語でオクトパスoctopusといいますが、8本の足があるからです。そして9番目がノウェンベル(11月)、10番目がデケンベル(12月)という具合に、その名残をとどめています。ローマ数字の序数と月名がずれるのは3月を年初としていた暦法に由来するのです。

ユリウス・カエサルは「ブルータス、お前もか!」という有名な言葉を吐いて暗殺されますが、暦にはその名を残します。というのも、かれの功績をたたえた元老院がクインティリス( 5番目の月、すなわち7月 )をユリウスに変更したからです。英語でジュライJulyというのはそのためです。ちなみに元老院は、のちの皇帝アウグストゥスを称えてセクスティリス( 6番目の月、すなわち8月 )をアウグストゥスに変えました。英語ではオーガストAugustとなります。

クレオパトラのせいでか、歴史はおおきく変わりました。すくな
くとも「暦」史は大変革をとげました。ただし、カエサルの子を
もうけたり、アントニウスと結ばれたりしたクレオパトラの数奇
な運命については、本稿の範囲を超えています。