
国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉
教授。吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営
人類学。
5月1日はメーデーです。メーデーは1886年のシカゴでの大ストライキに端を発しています。メーデー(May Day)は5月の日を意味し、ヨーロッパでは農事暦の祭日でした。それが労働者のための祝日として、多くの国で採用されるようになったのです。日本では国民の祝日ではありませんが、この日に労働組合は盛大なデモを繰り広げてきました。もっとも最近では、ゴールデン・ウイークに配慮して、開催日時を連休前に繰り上げています。


目下滞在中のドイツでもメーデーは祝日です。観光客相手のお店やレストランはあいていましたが、レンタカーの窓口までも休みなので、予約に往生しました。ドイツでは、ことに南東部のバイエルン地方では、メーデーはメイポール(ドイツ語ではマイバウムという五月柱)を立てる行事の日でもあります。前日にマイバウムを立て、伝統の衣装で夜通し踊るのが伝統のようです。旅先の村や町の広場には、常設のメイポールが立っていました。ミュンヘン中心街の青空市場には高さ4、50メートルはあるかとおもわれるマイバウムがそびえたっていました。3、4年ごとに建て替えるのだそうです。
ラッキーなことに、今回、ライン川沿いの町マインツでマイバウム立てを見ることができました。マインツは中西部の中心都市のひとつであり、バイエルン地方の人たちも移住してきています。かれらは故郷を懐かしみ、地方人会のような任意団体をつくり、町はずれに会館を建てました。マイバウムの行事は広場ではなく、その会館の敷地内でおこなわれていました。また4月30日の夜ではなく、5月1日の昼間でした。役どころの人たちは男性も女性も民俗衣装を着かざり、参加者はビールのジョッキを傾けながら民俗料理を楽しんでいました。マイバウムの高さは20メートルほどで、先端には電球付の十字架がつけられました。それを小型のクレーン車が吊り上げ、土台を青年たちが斧やスパナで固定していました。


マイバウムの先端に十字架がつくのは新しい習俗かと思われます。本来は、木の先端の枝や葉であったはずで、その伝統を守っているところもあります。マイバウムやメイポールはキリスト教以前のゲルマン民族の習俗であり、本格的な農作業がはじまる、夏の訪れを告げる行事でした。クリスマスツリーも実はキリストの誕生とは関係のないヨーロッパ北部の冬至の祭に起源をもっているようです。
マイバウムとクリスマスツリー、両者の木柱建ては、季節を画する行事としてどこかでつながっているようです。連想をさらにたくましくすると、6年ごとにおこなわれる諏訪大社の御柱(おんばしら)もユーラシア大陸にまたがる「柱立て」の東端の行事とみることはできないでしょうか。妄想に近い仮説かもしれませんが。


