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十二支の申-猿文化の古今東西

今回は猿文化の古今東西について学んでみましょう! こよみの博士ひろちか先生
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今年(2016年)の干支(えと)は丙申(へいしん、ひのえさる)です。申年は周知のこととはいえ、丙が何を意味するかは意外と知らないかもしれません。申は十二支の9番目ですが、丙は十干(じっかん)の3番目です。甲(こう)、乙(おつ)につづく丙(へい)です。昔はABCDのかわりに甲乙丙丁をつかっていました。学業成績の評価は甲乙丙丁でしたし、徴兵検査でも甲種合格とか乙種合格と称していました。いまでも賃貸などの契約書では「甲は」「乙は」というようにつかわれています。「甲乙つけがたい」といった慣用表現もあります。

十干は甲(こう)乙(おつ)丙(へい)丁(てい)戊(ぼ)己(き)庚(こう)辛(しん)壬(じん)癸(き)とつづきます。それが五行(ごぎょう)の木、火、土、金、水とむすびつき、次のように言い換えられます。

五行はそれぞれ兄(え)と弟(と)に分けられ、それが本来の「えと」です。干支を「えと」と読むのは十干の兄弟(えと)に由来するのです。

さて、丙は火性です。また十二支の午も五行の火に配当されます。そのため丙午(ひのえうま)の年に生まれた女性は火性が重なり、気性が荒いとか、亭主を食い殺すといった俗説(迷信)があります。それを気にして出生率が下がるという現象も見られました(本コラム第1回参照)。今年の丙申の10年後に丙午がきますが、俗説にふりまわされないことを願うばかりです。

六十干支(ろくじゅうかんし)で丙には丙子、丙寅、丙辰、丙午、丙申、丙戌という6通りの組み合わせがあります。裏を返すと、丙丑、丙卯、丙巳、丙未、丙酉、丙亥は無いということになります。その理由は十干と十二支の掛け合わせは120通りありますが、最小公倍数は60だからです。要するに、60で循環するように組み合わせているのが六十干支です。還暦という言葉はここに由来し、生まれ年の干支から満60年経つと元の干支に還るというわけです。

六十干支は日に対しても年に対してもつかわれています。たとえば丙申の60日後、120日後、あるいは60年後、120年後には丙申が再びめぐってきます。とりわけ紀年法の場合、歴史の記述には便利でした。壬申の乱や戊辰戦争がその例です。中国の辛亥革命、朝鮮の壬申倭乱(文禄の役)・丁酉再乱(慶長の役)も干支によって記録・記憶されています。もっと身近なところでは甲子園球場を思いだす人もおられるでしょう。

十干の起源は十二支とおなじく紀元前14世紀の殷にさかのぼります。十二支が1年の12カ月をあらわすのに対し、十干は10日ごとの一旬を占うことに端を発しています。そのように干支は紀日法としては殷代にはじまりましたが、紀年法として使用されるようになったのは紀元前1、2世紀頃の前漢あたりです。

干支は古代の中国で発生し、周辺の中国文化圏に伝播しました。十二支は動物を割り当てたため中国文化圏を越えて今では世界中の人々に広く知れわたるようになりました。他方、十干のほうは五行の兄弟に起因することすらあまり知られていません。

今月(2月)、4日の立春と8日の春節(旧正月)に合わせて、わたしは4枚の「年賀はがき」を受け取りました。最初に来たのは立春の頃で、「運勢学上の一年は立春から始まります」と書かれていました。次に華人の友人から「春節おめでとうございます」という年賀状が届きました。最後の2枚は「旧暦正月」「旧暦で新春のお慶びを申し上げます」というキュウレキスト(旧暦愛好家)からのものでした。しかしながら、丙申を記したものは1通だけでした。

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日本カレンダー暦文化振興協会 理事長

中牧 弘允

国立民族学博物館名誉教授・総合研究大学院大学名誉教授。
吹田市立博物館館長。専攻は宗教人類学・経営人類学。
著書に本コラムの2年分をまとめた『ひろちか先生に学ぶこよみの学校』(つくばね舎,2015)ほか多数。

中牧弘允 Webサイト
吹田市立博物館Webサイト