「宇宙に行くためなら、悪魔に魂を売り渡してもよいと思った」
今日は、世界の宇宙開発の発展に多大なる貢献を果たした、科学者フォン・ブラウンの生まれた日です。冒頭の彼の言葉に秘められた、苦しくも美しい人生を少しだけご紹介します。
ドイツに生まれたフォン・ブラウンは、母親からプレゼントされた望遠鏡をきっかけに、宇宙に憧れを抱くようになりました。
そして宇宙への到達を目指した勉強や実験を重ねる彼のもとに、ある日、ドイツ国総統アドルフ・ヒトラーがやってきます。ヒトラーは兵器としてのロケットに興味を持ち、彼に開発を依頼しました。
フォン・ブラウンはその使い道を知りながらも、ナチスの持つ強大な力を利用してロケットの開発に力を注ぎこみます。
ナチスドイツが戦争に敗れると、彼はすぐに研究を自由に続けさせてくれるのはどの国か考え、機密情報とともに自らを売り込んでアメリカに亡命しました。
アメリカ軍の研究室でさらに開発を進めた彼は、きっと誰よりも先に宇宙に向かってロケットを打ち上げたかったに違いありません。
ところが、世界で初めて人工衛星を打ち上げたのはロシア(旧ソ連)でした。そして、世界初の人を乗せたロケットの打ち上げも。
苦悩の中でもフォン・ブラウンは諦めず開発を続け、彼の開発したレッドストーンシリーズロケット「ジュノーⅠ」で、アメリカはついに初の人工衛星「エクスプローラー1号」の打ち上げに成功します。
その功績をたたえられ、フォン・ブラウンはNASAのマーシャル宇宙飛行センターの初代局長に就任しました。
1969年7月16日。人類が初めて月へ行った日。
自らの開発した「サターンV型ロケット」で月へ向かう宇宙飛行士たちを、フォン・ブラウンはいったいどんな想いで見つめていたのでしょうか。
魂と引き換えに手にした、美しい景色。
たとえ悪に手を染めたとしても、ひたむきに信念をもって生きながら人類全体の発展に尽力した彼の実績は、宇宙史にその強い思いと共に名を刻んでいます。