
清明を迎え、花々がうららかに空を彩り、大地は緑に覆われています。まさに清らかに明るい、春らんまんのとき。蝶も飛び交い、鳥たちは美しくさえずり、花の蜜を求める蜂や小さな昆虫たちが、いそいそと春の恩恵を享受している様子をみると、いやがおうでも幸福感が増してきます。
豪勢に咲く桜を皮切りに蘇芳、姫こぶし、桃、花海棠、ミツバツツジ、紫木蓮など、ピンクの花が次々と咲きます。桃に限らず、大地の色合いは「若草とピンク」が代表選手といってもいいでしょう。桃には梅や桜のような風格や華麗さはありませんが、「女の子の無邪気な笑顔」のような愛らしさがあります。ふわふわのうぶ毛に包まれたみずみずしい果実も、おなじみの季節のご馳走です。
これは中国最古の詩集『詩経』の一節で、「花嫁の歌」として知られています。『詩経』は今から二千五百年以上前に、中国黄河流域で歌い継がれた歌謡を詩集としてまとめたもので、「桃夭」の詩は、桃の節句のルーツともいえるでしょう。かつて中国では旧暦三月の桃の咲く頃に結婚式を挙げる風習があり、若き娘たちの幸せな門出を祝う歌だったのかもしれません。
「夭」とは、若い、幼い、みずみずしい、美しいこと。「夭夭」といえば、若々しく、顔の表情がやわらかく、のびのびしている様子も意味します。現代語訳をすると、以下のようになります。
いかがでしょうか。太古の時代から「桃」のイメージは気立てがよく、天真爛漫で、愛される女性と重ねられてきたのです。また道教の教えから、ひな祭りとして定着した上巳の節供は、本来は旧暦三月の最初の巳の日に水辺で邪気を祓う行事で、人形は身替わりの形代として流されるものでした。邪気を祓う仙木とされる桃は「月」と「女性性」を司る女神、西王母の象徴です。桃は蘇りの力を与えてくれる仙果(仙人の果物)となり、桃の木は宇宙をあらわす生命樹と重ねられています。
桃は木篇に「兆す」という字をあてますが、桃の木は霊力があるとされ、古くは護符として使われていたようです。前触れとは物事が始まる「しるし」を読むことでもあり、「眺める」ことは兆しを目で確認することでもあったのでしょう。山笑う景色に、先々に起こることへの希望を重ねて眺めるのは、昔も今も変わらぬ人の心の有り様です。
ひな祭りの白酒のルーツは桃花酒で、桃の花を浮かべた桃花酒を飲み、邪気を祓うヨモギの草餅を食べる風習がありました。行事に行われる飲食は、いずれも「旬の精」を身にとりこむことに意味があります。
現在もひな祭りに飾られる三色の菱餅は、若草色、白、桃色。かさねの色目「若草」で書いたように、若草は雪の下から萌え出す諸々の草の芽のこと。人々は食べられる野草を探して、野に出ました。菱餅の三色は、「白い雪が溶け、若草で覆われた大地の上に、桃の花が咲いている」、そんな季節の風景を模写したような配色です。
緑色のお餅は母子草(春の七草の御形)やヨモギで、白は滋養強壮効果のある菱の実を入れたもの、桃色は小豆やクチナシの実で色をつけたようです。古い文献を読むと若草色、白、黄色の三色であったり、桃色、白、黄色、若草色を交互に重ねた五色の菱餅もありました。ちょうど山吹や菜の花が咲く季節でもあり、春を象徴する景色の色で、桃色と若草、黄色と若草、桃色と黄色は今日の和菓子にも多用されています。
この季節のおすすめは、摘み草と踏青です。摘むという行為を通して手の先から直接、植物のエネルギーが入ってきます。踏青は青い草を踏んで遊ぶこと。春の野遊び。裸足で草の上を歩くことで足の裏から直接、精気が入り、元気になることを昔の人は知っていたのでしょう。自然に触れることがなによりのご馳走です。
江戸時代、上巳の節供の日や大潮の日に「磯祭り、磯遊び、浜下り」など、地方によって呼び方はさまざまですが、海に近い地域は浜辺で遊び、川のある地域では川のほとりで過ごし、山のある地方ではご馳走を持って山に登り、眺めのいい場所で一日中、山で遊ぶ「山入り、山遊び、野辺節供」の風習が全国にありました。
ひな祭りや節供は女子だけのものではなく、行事や節供の起源の多くは「自然との交感」にあります。自然を敬い、自然の力にあやかる行為です。
節供の日でなくても、田植えなどの農作業で忙しくなる前に、みんなで山に入って飲食をしたり、野山で摘み草などをして遊ぶことを「春ごと」といいました。桃色の山桜や木々の新芽や若葉で濃淡さまざまにもやぐような山を「山笑う」といいますが、優しく煙るような色合いの山をよく見つめるだけでも、心の交感は成立しています。
人の意識が自然と一体化して、完全に自然の一部になること。そこに人が求める本質的な幸福があります。ぜひ近くの野山に出かけて、桃色と若草色を楽しんでみてください。
