
啓蟄を迎え、ミツバチもアリも、元気に活動を始めています。如月の別名は、小草生月(おぐさおいづき)。小さな種々(くさぐさ)が懸命に芽を出し、やがて大きな緑に変えていく月です。
現在のツボスミレは、白の中央に紫のみえる花をさすようになっていますが、たくさんの和歌に詠まれているように、昔は紫のスミレをさしていたようです。かさねの色目では表が紫根、裏が蓼藍と刈安で染めた濃い緑で、なんとも美しい配色です。壺(庭)に咲く菫という説もあります。
春雨のふる野の道のつぼすみれ 摘みても行かむ袖は濡るとも 藤原定家
紫はもっとも高貴な色とされ、小さいながらも濃い紫の花を咲かせるスミレは、永々と人々の顔をほころばせ、どんなにか愛されてきたことでしょう。すみれを摘むことから、ツミレがスミレの語源ともいわれています。
浅茅生はむらさき深くなりにけり いざや少女に董菜摘ませむ 師頼
ムラサキという言葉は染料として知られていた紫草からきています。紫草の赤い根から染められる色のことで、現在は幻の染料となっていますが、たしかに紫根染めの紫は上品な鮮やかさで、青と赤の掛け合わせで出せる色とは異なる、別格の深い紫です。日本の伝統色では「本紫」と呼ばれています。そこでこんな歌もあります。紫根の横に、ツボスミレが咲いていた時代があったのですね。
紫の根はふ横野のつぼすみれ 真袖につまん色もむつまじ 藤原俊成
さて、スミレとアリの共生関係に気づいたのは、ある年のこと。
アスファルトの道路のポールの根元に溜まった埃のような、わずかな土を頼りに、紫色のスミレが咲いているのに気づきました。その辺りのアスファルトには、まるでわずかな土を探すかのよう点々と咲いていて、スミレのたくましさに驚嘆したのです。
その翌年、きっとまたそこに咲いているだろう、と見に行ってみますと、同じところには咲いていませんでした。しかし、離れたところに、見つかりました。種が飛ぶにしては、遠い距離です。そこにはアリが歩いていました。そこでアリとスミレについて調べてみて、気づいたのです。やはりスミレの種は、アリの助けを借りていました。
小さなすみれの種には種枕(しゅちん)と呼ばれる、アリが大好きな甘い枕がついています。エライオソームという物質だそうです。アリはその白い枕が欲しいのですが、種から簡単にはとれないようになっています。そこでアリは一生懸命、巣まで運んでいき、白い塊を食べたあと巣の外に出したり、あるいは運んでいる途中で、運良く塊をはずして置いていったり、何かの事情で諦めて、置いていったりします。
スミレの種自体にも、自らはじけて飛んでいく力がありますが、翌年、思いがけないところで咲いているスミレは、前の年のアリたちの行動の印のようでもあり、より一層、愛らしく感じます。
何かの割れ目のようなところに咲いているスミレをみると、運ぶ途中でうっかり落として、とれなくなってしまった種かしら、などと想像してみたりするのも楽しいものです。スミレの花をみたら、近くにアリが歩いていないか、見てみてください。
スミレ、ツボスミレ、タチツボスミレ、アオイスミレ、カタクリ、ムラサキケマン、ニリンソウ、そしてギフチョウの成長に欠かせないヒメカンアオイなど、春の妖精の多くが、アリの力を借りていのちをつないでいます。
その中にちいさき神や壺菫 虚子
