
月草に衣は摺らむ朝露に 濡れての後は移ろひぬとも 万葉集
月草は、露草の古名です。昔はこの花の汁で布や紙を染めたので「着き草」や、臼で搗く「搗き草」が転じたとされ、かつては染料として栽培されていましたが、この摺り染めでは色が定着せずに消えてしまうので、はかない恋の象徴として歌に詠まれました。
朝咲き夕は消ぬる月草の 消ぬべき恋も我はするかも 万葉集
友禅染めの下絵に使われている青花(あおばな)は、この露草の栽培品種です。染まりやすいけれど水に溶けて褪せやすいこと、早朝に咲いてしぼんでいく一日花であること、はかなく消えてゆく朝露のイメージなどが重なって、月草は露草と呼ばれるようになったようです。
小さな露草の花に宿るつゆは、前夜の月の雫を宿したかのようにみえますが、実際の露草のつゆは大気の結露ではなく、自らの水孔から排出した水だそうです。つゆを宿した露草のみずみずしさ、吸い込まれそうな澄んだ青。おしべの黄色がいっそう、青を引き立てて鮮やかにみえます。
朝露が多くなる初秋の季語とされていますが、実際は6月頃から咲き始め、蛍と一緒に籠に入れることから「蛍草」ともいいます。夏は蛍草、初秋は月草と呼びたくなりますが、いずれも美しい名前がついており、この花がいかに古くから人々に愛されてきたかがしのばれます。
日陰にうつむくように咲く露草の、目が醒めるような冴え冴えとした青。その美しさに驚き、じっとのぞきこんだことがあるのではないでしょうか。さまざまな青い花の中でもひと際、鮮やかな縹色(はなだいろ)。かさねの色目の「搗き草」は表が縹、裏が薄縹、着用時期は秋です。
縹色は藍染めの工程として出てくる色として知られていますが、元々この露草の色を表した色で、花色、月草色、露草色、千草色ともいいます。縹色は明るくパッと華やいだ色で、それをさらに重ねることで堅牢で深い藍が生まれます。
藍染めとしては途中経過の色ですが、江戸時代の着物や布団の裏地として使われたのが、縹色程度に染められた木綿で、花色木綿と呼ばれていました。
家賃を払えない長屋の住人が泥棒に入られ、大家さんにあれもこれも盗まれたとおおげさに嘘をつくお話が、古典落語の『花色木綿』という泥棒咄になっています。主人公は花色を高価なものと思ったのか、布団の裏地が花色木綿にはじまって、傘や紋付袴や果ては箪笥にまで、裏は花色木綿というので、笑いを誘います。花色に染められた木綿は丈夫で長持ちするため、裏地としてよく使われていたのです。
花色というとピンクを想像するかもしれませんが、この青です。紅花で薄いピンクに染められたものは一斤染め(いっこんぞめ)といい、紅花一斤で絹二反を染めた色をさします。紅花も藍と同様に、何度も染めることで真紅になりますが、一斤染めというのは紅花が非常に高価だったためで、一反の布を真紅に染めるには、その二十倍の紅花が必要でした。
和暦では8月7日が立秋です。梅雨空けの猛暑は土用にあたります。残暑は厳しく、暑さもピークを迎えますが、峠を越えるということは同時に小さな秋も生まれることを意味します。日中はうだるような暑さを感じますが、朝ふっと涼しい風が吹き、夕方には虫の音が少しずつ大きくなってゆきます。身近に咲く初秋の空のような花色、見つけてみてください。
