秋水しゅうすい

季語 2022.09.25

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こんにちは。ライターの高根恭子です。

1ヶ月前まではクーラーをつけるほどの暑さだったのに、すっかり秋の気候になりましたね。空気は澄んで、夏にはぼんやりしていた景色が遠くまで見渡せるようになりました。山の輪郭がはっきりと見えたり、空を広く感じたり、月がくっきり見えたり..。
少しずつ葉っぱも色づきはじめるので、心踊る風景にたくさん出会える季節です。

秋は空気だけではなく、水も澄んできます。

だんだんと空気が乾くので、海や川、湖や池の水が透き通って見えるようになる。
このように秋の澄みきった水のことを「秋水(しゅうすい)」と言います。

秋水は俳句の季語として使われる言葉で、たとえば高浜虚子はこんな俳句を詠んでいます。

秋水に石の柱や浮見堂 高浜虚子

秋に奈良を訪れたら、石の柱や浮見堂が見事に水面に映し出されていた。
たった10文字の言葉なのに、そこで出会った情景と感動が目に浮かぶようです。

この歌を知って、過去の写真フォルダを探ってみたらちょうど去年の10月頃、浮見堂で撮影した写真が出てきました。

写真提供:高根恭子

このとき眼前に広がる景色に心が動き、たくさんシャッターを押していたようです。とくにこの写真は、水面に映し出された紅葉がすでに色づいているようでした。

写真提供:高根恭子

俳句で「秋水」を使うときは「澄み切った心」という心情をあらわすことが多いようです。もやもやしているというよりも、スーッと気持ちが晴れてくるような。また、三尺秋水(さんじゃくのしゅうすい)という四字熟語もありますが、研ぎ澄まされた刀のことを言います。三尺秋水は「美しい」という意味合いで使われることが多く、やはりここでも、心地よい文脈のなかで使われるようです。

この写真は昨年、奈良県の龍王ヶ淵(りゅうおうがぶち)というところで撮影したものです。

写真提供:高根恭子

まだ暑さが残る8月末だったかと思いますが、絵画を見ているかのような世界観にうっとり見入ってしまいました。ただ、実はこのとき私の心はくすみがかっていました。なんといいますか、自分の思うようにいかないもどかしさを抱えてずっとモヤモヤしていたので、手放しで「きれい」と感じることはできない状況だったかもしれません。

シェイクスピアの有名な戯曲「マクベス」では、こんな言葉が出てきます。

きれいは汚い、汚いはきれい。

「きれい」と「汚い」、両極端の言葉が一緒に出てくる。人間の真理をあらわしているようなセリフにドキッとしたことを、いまでもはっきりと覚えています。

ほんとうなら、ずっと澄みきった心でいたいところですが..。人間ですもの。
私のようにきれいなものを見て、素直にきれいだなぁと思えないこともあるだろうと思います。

ただ、そんななかでも「願うこと」は自由だと思います。

写真提供:高根恭子

来年こそは心を晴れやかに、同じ場所に立っていたい。

水面に映し出された自分に話しかけるように、いま向き合っている状況を冷静に見つめて、ひと呼吸置いてみる。

今年よく行く神社で出会った「秋水」は、昨年よりも少しだけいい景色になっていたような気がします。

みなさんにとって、今年の「秋水」はどう映るでしょうか?
心潤す光景に、出会えますように。

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高根恭子

うつわ屋 店主・ライター
神奈川県出身、2019年に奈良市へ移住。
好きな季節は、春。梅や桜が咲いて外を散歩するのが楽しくなることと、誕生日が3月なので、毎年春を迎えることがうれしくて待ち遠しいです。奈良県生駒市高山町で「暮らしとうつわのお店 草々」をやっています。好きなものは、うつわ集め、あんこ(特に豆大福!)です。畑で野菜を育てています。

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