目には青葉

季語 2023.05.31

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こんにちは。巫女ライターの紺野うみです。

「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」

これは、かの松尾芭蕉と親交の深かったという、江戸時代に活躍した俳人・山口素堂(そどう)の俳句です。
その冒頭「目には青葉」の一節を耳にしたとたんに、するするっと「山ほととぎす……」と続けたくなる方も多いのではないでしょうか。

なんとも不思議な引力を持った、この一句。
「目には青々とした葉が美しく生い茂り、耳には山から聞こえてくるほととぎすの鳴き声が心地よく、口(舌)には初鰹が美味しくいただける素晴らしい季節だ」――山口素堂が伝えたかったのは、こんな気持ちでしょうか。
思わず「うんうん、初夏っていいよね」と、大きく頷きたくなる気がします。

俳句には、必ず季節を象徴する言葉である「季語」を入れることが決まりとなっていますが、それは原則ひとつだけとされています。
ところが、この句は「青葉」も「ほととぎす」も「初鰹」もすべて同じ夏の季語であり、俳句の世界ではタブーとされている「季重なり」という季語を複数用いる手法が使われています。

しかし、この句は初夏の爽やかな魅力と楽しみを、ほとんど物の名前を書き連ねているだけでさっぱりと気持ちよく伝えているところが心地よく、多くの人に愛されてきました。

それだけでなく、頭の「目には青葉」という部分は六文字。
俳句の基本となる、心地よいリズムを生み出す文字数「五・七・五」の原則からも外れる「字余り」というイレギュラーな技も相まって、斬新な一句に仕上がっています。
でも、なぜ山口素堂はこの句の出だしを「目に青葉」の五文字にしなかったのでしょうか……。

「(目に)は(青葉)」と、あえて「は」を入れたかった意味をしばらく考え――そのあとに続く「山ほととぎす」と「初鰹」の前にも、「(耳には)山ほととぎす」「(口には)初鰹」と言う言葉を隠していたのではないかと、妙に納得してしまいました。

その真意は想像することしかできませんが、私は山口素堂が「目には、耳には、口には……」と続くであろうこの句から、季節の魅力を五感で感じることの大切さを伝えてくれているような気がしてなりません。

新緑のみずみずしさや、山から聞こえてくるほととぎすの声の美しさはもちろんのこと、旬の食べ物である初鰹は、特にこの句を楽しげに彩っているように思えます。

江戸時代、「かつお」は「勝魚」ということで縁起のよい食べ物ものとされており、中でも初夏に獲れる「初鰹」は大変高価なものでしたが、江戸っ子にとっては「女房を質(しち)に入れてでも食べたい」と言われるほど人気だったそう。
初物を食べれば長生きできるという言い伝えもあったようで、たとえ高価でも手に入れることが粋である、となんとも江戸っ子らしい風土が感じられる言葉にもなっています。

昨今はとても便利な世の中になり、口にするものが季節関係なくお店に並ぶようになりました。

反面、それは私たちの暮らしの中から「旬」という感性を少しぼやかしてしまっているようにも感じます。
どんな季節の気配も、本来の私たちの心は、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚という「五感」でしっかりと受け止められるようにできているのではないでしょうか。

きっと、季節というのは「感じるもの」なのです。
どんな時代になっても、自分の五感を研ぎ澄ましながら、季節を心で受け止めて生きていきたいものですね。

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紺野うみ

巫女ライター・神職見習い
東京出身、東京在住。好きな季節は、春。生き物たちが元気に動き出す、希望の季節。好きなことは、ものを書くこと、神社めぐり、自然散策。専門分野は神社・神道・生き方・心・自己分析に関する執筆活動。平日はライター、休日は巫女として神社で奉職中。

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紺野 うみ|オフィシャルサイト

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