しっとりと雨をまとい、ふかふかとした苔の緑が深みをおびてくる水無月のころ。私が大人になって初めて味わった京料理は、ちょうど今の季節に、青竹の筒から注がれる竹酒で始まりました。爽やかな竹の香りに、優雅な一献。お料理には氷の器。湿度の高い京の夏、その息苦しさをしばし忘れさせてくれる風情ある仕掛け。添えられた短冊には「水無月の夏越の祓する人は千歳の命延ぶというなり」と夏越しの祓歌が書かれていました。

大祓の行事は、知らず知らずのうちに身にたまった罪や穢れを祓うために行われた宮中行事が起こりとされ、6月の夏越しの祓は、無事に夏を越すため身を清める風習です。

幼い頃、この季節に親に手をひかれ氏神さんに行くと、参道の真ん中に突如現れる大きな茅の輪。まるでどこか違う世界へとつながる不思議な入り口みたいで、ドキドキしながらくぐった記憶があります。

茅の輪を支える両脇には、清らかな境界を示すように、青々とした竹が結ばれています。竹が天へと真っすぐに伸びる美しさには、古より、神秘的な力が宿ると信じられてきました。私が生まれ住んだ地域では、身近なところに竹藪が茂っていて、さやさやと風にこすられる清らな音、時折、奥になにか潜んでいるような気配を感じたことを覚えています。

日が暮れると、清流そばの竹藪に、蛍を見つけて夕涼み。お酒と盃を手に、蛍酒を楽しんだこともありました。あたりは闇、目の前に浮かぶ蛍のほのかな灯り。互いの顔が青白く浮かぶのを頼りに、白い盃にそっとお酒を注ぎます。静寂の中、点滅する灯りを見つめていると、不意に光に引き込まれ、人魂のように見えました。怖ろしいほど幻想的な、美しい夜の思い出。竹取物語で、翁が闇夜に光る竹を見つけたのも、きっとこんな夜だったのかしら。

古より、竹取りの翁がいたころから、神秘的な魅力と共に、強くしなやかで麗しい竹の特性は、工芸品としても愛でられてきました。

人々の生活にご利益をもたらす竹の恩徳に感謝する行事が奈良の大安寺にあります。竹酔日の故事にちなんだ6月23日に行われる「竹供養」。癌封じのご祈祷のあと、竹筒から笹酒が参拝者にふるまわれ、無病息災を願う人たちで賑わいます。

古くから万病に効くとされてきた竹の薬効。竹の皮でおむすびを包んだり、笹でくるんだ和菓子があるのも、竹の抗菌力があればこそ。鮮やかな青に先人たちが知り得ていた、竹の秘めたる効能なのです。

じめじめした梅雨の時季、夏バテ解消にぴったりなのが、ひんやり甘酒。俳句でも「甘酒」は夏を表す季語で、江戸時代には、栄養補給のための夏の冷たい飲み物でした。酒粕から造る甘酒には微量にアルコールが含まれますが、米麹から造る甘酒には、アルコールが含まれないうえ、砂糖を加えていない発酵の自然な甘さに驚きます。アミノ酸やビタミンなど栄養満点で、飲む点滴とも言われるほど。ノンアルコールの甘酒なら、子どもから大人まで楽しめます。

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