日本の色/艶紅つやべに

にっぽんのいろ 2023.02.06

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染織家の吉岡更紗です。私は、京都で200年以上続く染屋「染司よしおか」の六代目で、いにしえから伝わる技法で、植物を中心とした自然界に存在するもので染色をしています。
世界中でも類をみないほど数が多いといわれている、豊かな美しい日本の色。その中から、今月は「艶紅(つやべに)」についてご紹介いたします。

艶紅 写真提供:紫紅社

艶紅は、紅花から得られた色素を沈殿させて得られるもので、白磁などのお皿に塗り乾燥させます。光があたると金色に輝き、「ひかりべに」とも表現したくなるような、美しい色です。紅花から生まれる色は、紅、搔練(かいねり)、韓紅(からくれない)、桜色、一斤染(いっこんぞめ)など数多ありますが、この艶紅だけが、色素を沈殿させる方法で抽出します。

沈殿した紅の色素 写真提供:吉岡更紗

手順を簡単に説明すると、紅花の花びらには大半、黄色の色素が含まれていて、水に流れやすい性質を持っているため、先ず花びらを一晩水に浸けておいて、更に翌日、何度も水を換えて黄色の色素を洗い流します。その後、アルカリ質が溶け出した藁灰汁(わらあく)を注いで揉むと、赤の色素が少しずつ汲み出されていくのです。

何度か繰り返し得られた紅花の赤い色素は、植物繊維にさっと染まりつく性質を持っているため、この液に麻の布を細く切った裂(きれ)を入れ、しみ込ませます。その裂を絞って取り出し、更にまた灰汁に浸けて、赤の色素を揉み出します。こうした方法でより純度の高い赤を作り、そこに烏梅(うばい)と呼ばれる梅の実を燻製したものをお湯につけた水溶液を加えると、不思議なことに赤の色素は次第に沈殿していくのです。これを絹の布で漉し、すくいとったものが「艶紅」となります。

紅花の液に麻の切れ端を入れる 写真提供:吉岡更紗

紅花は、原産がエジプトやエチオピア付近と言われていているキク科の植物です。この方法で、東洋の女性のための口紅や頬紅が作られていました。紀元前3世紀頃にはシルクロードを通って東伝し、中国北方の匈奴という遊牧民にもたらされていたことがわかっています。

「我が燕支山を失う、我が婦女をして顔色無からしむ」とは、紀元前127年に前漢の武帝によって領地を攻められ、紅花の産地であった燕支山を奪われて、国の女性がお化粧をする赤を失ったと嘆いた匈奴の王の言葉です。その後日本にも伝わり、弥生時代のものとされる纏向(まきむく)遺跡からも大量の紅花の花粉が発見されています。

紅花畑 写真提供:吉岡更紗

江戸時代には「寒中丑紅(かんちゅううしべに)」といって、「小寒」と「大寒」の間に製造された口紅は特に質が良いとされ、丑の日はその紅を求める女性が列をなした、とも言われています。

また、「寒の紅染め」という言葉があるように、紅花から美しい赤をとるには寒いほどよいとされていて、染司よしおかでも紅花染の作業は冬に行います。火を使わず、寒い中での作業となりますが、紅花には血行をよくし、血圧を下げる漢方薬としての効能もあるため、紅花を揉んだあとは心なしか手が内側から温かくなるような感覚があり、女性を美しく彩る赤を生み出す紅花の素晴らしさを体感しています。

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吉岡更紗

染織家・染司よしおか6代目
京都市生まれ、京都市在住。紫根、紅花、藍などすべて自然界に存在する染料で古法に倣い染織を行う「染司よしおか」の6代目。東大寺二月堂修二会や薬師寺花会式など古社寺の行事に染和紙を納める仕事もしているため、冬から春にかけてが一番好きな季節。美しい日本の色を生み出すために、日々研鑽を積む。

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紫のゆかり 吉岡幸雄の色彩界

染司よしおか

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