うめ

旬のもの 2021.02.01

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こんにちは、俳人の森乃おとです。

梅は春の訪れを最初に告げてくれる花です。
別名は「春告草(はるつげくさ)」。かつて七十二候では「立春」の次候は「梅花乃芳し(うめのはなかんばし)」でした。

梅の花は、見た目も美しく香りも高く、果実は食用となります。平安時代の初期まで、花見といえば梅でした。今でも、梅の開花を待ち望む人々の心に変わりはありません。

梅一輪一輪ほどの暖かさ

江戸時代の俳人、服部嵐雪の句。嵐雪は松尾芭蕉の弟子で「蕉門十哲」のひとりです。
まだ頬に触れる空気が冷たい頃、小枝にポツンと一輪の花が開きます。「ああ春が来る」。凍えた身体にも心にも、小さな光が射し込みます。
次の日にもう一輪。2、3日後にまた一輪か二輪。決して急がずに、しかし確実に、花は増えていきます。まるで春の歩みのようにゆったりと。

嵐雪の句では、梅の花の一輪ごとに少しずつ春が刻まれる様子が、見事に表現されています。
そうして、梅の花がようやく満開を迎える頃、季節はすっかり春になっているのです。

春を象徴する、梅と桜。桜はもっぱら満開の姿を称賛されますが、梅は一分咲きや二分咲きにこそ、風情があるのかもしれません。

東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ

梅は花の美しさだけではなく、その凜とした香りでも人々を魅了してきました。学問の神「天神様」として祀られる菅原道真。平安時代の貴族だった道真は、梅の花をこよなく愛した人物として知られています。

「東風吹かば」の歌の意味は、「暖かい東風が吹いたら匂いを送っておくれ、梅の花よ。主人がいなくなったからといって、春を忘れるな」。

藤原氏との政争に敗れて、道真は九州の大宰府に左遷されました。失意のなか、京(みやこ)の邸に植えていた梅の木を懐かしんで詠んだ歌です。その梅の木が、道真の歌に応じて九州まで飛んできたという「飛梅伝説」があります。

梅は「令和」という新元号の基に

ところで梅は、昔から日本にあったわけではなく、原産地の中国から遣唐使によってもたらされた、と考えられています。
「ウメ」という名前自体が、古代の外来語なのだそうです。

日本語では、鼻音は重ねて発音される性質があり、中国語の梅の発音「メイ」(me)が「ンメ」「ムメ」(mme)と表記され、それが最後に「ウメ」に転じました。

「令和」という元号の成立にも、梅が密接に関わっています。

天平2年 (730年)正月13日に、万葉歌人で大宰府長官だった大伴旅人(おおとものたびと)の邸で宴会が開かれました。そこには当時まだ珍しかった梅園があり、参会者が詠んだ32首の梅の歌が万葉集に収録されています。

旅人の書いた序文「時に、初春(しょしゅん)の月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風(やわら)ぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かおら)す」から、「令和」の2文字が取られました。

花言葉は「上品」「高潔」「忍耐」「忠実」

梅の花言葉の「上品」「高潔」「忍耐」は、寒さの中で芳香とともに咲く様子から、「忠実」は菅原道真の飛梅伝説からの連想です。

花はやがて実となり、雨が多く降る6月「芒種」の頃、大きく膨らんで緑から黄色に熟していきます。芒種の末候(七十二候)は「梅子黄ばむ(うめのみきばむ)」です。

梅は、観賞用の「花梅(はなうめ)」と食用となる「実梅(みうめ)」とに、大きく分けられます。古来より梅の実は、薬用・食用として広く利用されてきました。酸味が強いため、中国では塩とともに最古の調味料として使われました。「塩梅(あんばい)」とは、塩と梅による味付けがちょうどよい状態のことです。

まさに梅は「見てよし 匂いよし 食べてよし」。今も昔も、五感すべてで豊かに味わえる、すばらしい植物なのです。

ウメ 梅
学名 Prunus mume
英名 Japanese apricot
バラ科サクラ属の落葉樹。開花期は2~4月。葉が出る前に1~3cmの5弁の花をつける。花の色は白、紅、薄紅。

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森乃おと

俳人
広島県福山市出身。野にある草花や歳時記をこよなく愛好する。好きな季節は、緑が育まれる青い梅雨。そして豊かに結実する秋。著書に『草の辞典』『七十二候のゆうるり歳時記手帖』。『絶滅生物図誌』では文章を担当。2020年3月に『たんぽぽの秘密』を刊行。(すべて雷鳥社刊)

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