朝、目を覚ますと雨のそぼ降る音が聞こえてくる。思考はまだはっきりとせず、ぼんやりとその音に耳を澄ますだけの時間がとても好きです。梅雨の季節、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
こんにちは。ライターの小島杏子です。
学生時代は、クセ毛をもてあそぶ梅雨という季節が苦手でしたが、出かける用事も誰かと会う予定もない在宅ワークになって以降、心からこの季節を楽しんでいます。仕事の手を休め、窓から外を眺めると、露に濡れた植物は今だけの美しさを見せてくれます。
なかでも目を引くのは庭の端の翳った地面に広がる苔。露をたっぷりと含んだやわらかな苔は、今、1年でもっとも深い色あいを見せます。そんな「苔」が本日のテーマ。

苔。湿り気のある地面や岩、樹木などを平たく覆うようにして生える植物です。ただ苔とひとくちに言っても、ミズゴケやスギゴケなどの蘚類、ゼニゴケなどの苔類のほか、地衣類やシダ類などさまざまな植物の一群を総称して「苔」と呼んでいるのだそうです。
苔の美しさは『万葉集』でもうたわれています。
み芳野の青根が峰の蘿(こけ)むしろ誰か織りけむ経緯(たてぬき)無しに
この歌では苔の美しさを「縦糸も横糸もないムシロ(敷物)のようである、これは一体誰が編んだのだろうか……」という表現で讃えています。
「苔」ではなく「蘿」という字が当てられているのにお気づきかと思います。現在よく使われる「蘚」や「苔」といった漢字が主流になったのは江戸時代中期以降だとも言われますから、もしかしたら私が想像する苔と、作者の見た蘿とは厳密には少し趣が違うのかもしれません。
とはいえ、目の前に佇むどこまでも深い緑に、美しいとため息をついてしまう気持ちそのものには時や空間を超えて繋がることができる気がします。

苔は、「千代に八千代に〜苔のむすまで」という文句にも表れるように、「長い時間の経過」を象徴するものでもあります。私は長らくこれを自分とはあまり関係のない、ただの知識としか捉えてこなかったのですが、先日ちょっと考えを改めました。何気ない日常の一齣(ひとこま)が教えてくれたことです。
一日よく降った雨があがった夕刻のこと。庭の端に生えている苔を縁側からぼんやり眺めていると、一匹のダンゴムシが苔の上を横断していくのが目に入りました。どこに向かっているのか、私ならば一歩、二歩で移動できるような距離を、ダンゴムシはじりじりと、それでも確実に進んでいきます。その様子を見ていると、なんだか不思議な気持ちが湧いてきました。
ダンゴムシの平均寿命は約3年。死んだあとはカビによって分解され、土に還り、その土地の養分となります。私の目の前を移動するダンゴムシが、約3年の寿命のうち、どれくらいを生きてきた個体なのかはわかりませんが、とにかく今ダンゴムシが歩いている。それも長い時間の経過を象徴する植物である苔の上を歩いていて、それを人間(平均寿命80年ほど)である私がじっと見ている。
その事実に、妙に心打たれたのです。それぞれ寿命は異なっていても、「今ここにいる」ということだけは動かしようのない事実なのだなと。

私たちの誰もが時間を止める術を持たず、なにがあっても時は流れていきます。時間が経過するということは、変化するということであり、変化の先には死があります。自分の死の訪れがいつになるのかはわかりません。けれど、「今ここにいる」ということだけは、それなりに実感を持てることだろうと思うのです。
最近の私はついつい過去を悔やんだり、未来への不安で頭をいっぱいにすることに時間を割いてしまっていた気がします。もちろん社会生活をする上でそれも悪いことではありません。でも、たまには「今ここにいる」ことを意識するのも忘れないようにしないとなと思ったのです。
たいそうなことである必要はありません。目の前にあるささやかな一瞬に心に留めてみるだけです。庭でダンゴムシを見つめている今、洗濯したタオルを畳んでいる今、くるまっている布団の肌触りを感じている今、猫を撫でてその毛並みを感じている今。「今」だけに心を傾けてみる。
だからなんだという話でもないのですが、少なくとも私には必要な時間だと感じています。
苔とダンゴムシ、自分とは違う時間軸のいのちと隣り合って生きることは、こんな発見をもたらしてくれるんだな……とぼんやり思う、梅雨の一日でした。


小島杏子
僧侶・ライター
広島県尾道市出身。冬の風景が好きだけど、寒いのは苦手なので、暖かい部屋のなかから寒そうな外を眺めていたい。好きなのは、アイスランド、ウイスキー、本と猫、海辺。
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