トウモロコシ

旬のもの 2021.08.17

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こんにちは、料理人の庄本彩美です。今日は夏の定番であるとうもろこしのお話です。

夏になり、とうもろこしを見かけるようになると、私は子どもの時に夏の阿蘇で見た「焼きとうもろこし」を思い出す。父が運転する車の後部座席で、窓を全開にして景色を眺めていると、道のカーブの度に「焼きとうもろこし」ののぼりと出店があった。入道雲と阿蘇の雄大な草原を背景に、売り子のおばちゃんが真っ黄色のとうもろこしをジュージュー焼いているのだ。漂ってくる香ばしいとうもろこしと醤油の香りは、私の中の「とうもろこし」の代名詞となっている。

しかし、実家のとうもろこしは少し違った。祖母が作ってくれていたのだが、阿蘇で食べたような、びっしり粒がつまったものに出会うことは少なかった。ひと回り小さく、あまり実のついていない歯抜けのものが多かった。

調べてみると実がつくには様々な影響があるが、中でも受粉の方法が特徴的だということを知った。
一般的に植物は、一つの花の中に雄しべと雌しべがあるが、とうもろこしは茎の先端に雄花が咲く。そして、茎の中ほどに雌花ができる。雌花も変わっていて、絹糸という柔らかく長い糸を大量に伸ばしている。いわゆる、とうもろこしのヒゲの部分だ。この絹糸で花粉をキャッチしている。

とうもろこしのヒゲは芯から生えているのではなく、1粒1粒から1本ずつ生えているという。絹糸に花粉が付くことで受精し、粒が大きく成長する。絹糸は粒のひとつひとつから出ているので、 粒の数と絹糸の数は同じだそうだ。

そのため、特に植える株が少ない家庭菜園などでは、植え方を工夫したり、雄花を振って花粉を絹糸につけてあげたりと、手間をかけてあげる必要があるそうだ。ちなみにヤングコーンは、間引きのためにとうもろこしの実を若取りしたものになる。

ところで、とうもろこしは野菜でありながら、穀物でもある。とうもろこしは、小麦、米と並んで世界三大穀物の一つでもある。この3つは、人類の文明の発展を支えて来た作物だ。とうもろこしの起源とされている中米ではアステカ文明やマヤ文明が発展した。アメリカ大陸の各地には、人類の創世などとうもろこしに関わる多くの神話、伝説、民話が伝えられている。今でもメキシコでは、とうもろこしの粒には神が宿ると信じられている。

日本でも「一粒のお米に8つの神様がいる」と言われる。実は麦にも神が宿ると信じられている国がある。苦労して育てた穀物の収穫を無事迎えることができた喜びと感謝の念を感じるのは、どの国でも同じなのだろう。

今年は実家から大きめのとうもろこしが届いた。皮を剥いてみると、立派に実が揃っている。昔阿蘇で見たあの「とうもろこし」のようだ。祖母が手間ひまかけて育ててくれた様子が思い浮かんだ。
思い出の焼きとうもろこしで丸かぶりするのもいいが…。まずはとうもろこしご飯を作ることにした。
とうもろこしを回しながら、残ったひげを取っていく。「みんな実をつけることができたんだねぇ」と、いつもより一粒一粒まじまじと見てしまっていた。

蒸して実を取ったとうもろこしと少しの塩を、炊き立てのご飯と混ぜれば完成。少しバテ気味で食欲が落ちていたが、色味も綺麗で食欲をそそる。

一口食べると、とうもろこしのぷちっとした食感と柔らかい白米の食感が互いに口の中でメリハリを出しながら、主張してくる。「今一体どれだけの神様をいただいているのかしら?」なんて、お米やとうもろこしの神秘性を感じながら、私は、お茶碗1杯ぺろりと食べ切ってしまったのだった。

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庄本彩美

料理家・「円卓」主宰
山口県出身、京都府在住。好きな季節は初夏。自分が生まれた季節なので。看護師の経験を経て、料理への関心を深める。京都で「料理から季節を感じて暮らす」をコンセプトに、お弁当作成やケータリング、味噌作りなど手しごとの会を行う。野菜の力を引き出すような料理を心がけています。

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