紅葉のこころ

旬のもの 2022.11.18

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こんにちは。写真家の仁科勝介です。

イチョウや紅葉は、落葉樹の仲間です。葉の中には“葉緑素”と呼ばれる緑の粒が含まれていて、葉が緑色なのは、緑色をした葉緑素があるから。その葉緑素は、水と二酸化炭素と日光を利用することで、栄養素のでんぷんをつくりだします。それが光合成です。ただ、季節が巡り、朝晩の気温が低くなると、落葉樹の葉緑体は働きが弱くなります。そしてでんぷんと葉緑素は分解され、やがて葉の色が赤や黄色に変化するわけです。葉はすべて散りますが、それでも落葉樹にとっては、落葉することが春夏秋冬のサイクルを生き抜く大作戦。日照時間の短い冬に、葉や枝を守り、育てるエネルギーを使わないことで、じっと春を待つのです。

その、冬を迎える準備に、秋の葉はなんとまあ粋な色を残すのでしょうか。と思うばかりです。日本でも平安時代には、紅葉の和歌がたくさん詠まれています。ならば、その前は? と先に縄文時代のことが気になって調べました。すると、縄文時代の狩猟や採集が中心だった時代は、冬に向けての準備が忙しく、あまり紅葉を愛でる文化はなかったのではないか、という資料がありました。また葉の色づきは季節の合図でもありますから、狩猟や採集の目安にしたり、位置を知る目印になったかもしれないと。なるほどなあと感じます。

それに、紅葉の代表格のひとつは「楓(カエデ)」ですが、中国ではすでに3世紀の西晋で、楓を楽しんでいたとされる句が残されているようです。万葉集がつくられた時代よりも400〜500年ほど前ですし、それこそ春秋時代や秦の時代はどうだったのだろう、と想像したくなります。

そして何より、今も日本にとっての紅葉は、なくてはならない存在です。秋から冬にかけて毎日旅をしていた時期がありますが、毎日違う場所で紅葉と出会う感情は、冬の「準備」と秋の「歓び」の掛け合わせだったように思います。冬は必ずやって来る。それは厳しいものである。とわかってはいても、実際に赤と黄の葉を見ることで、視覚として徐々に冬を覚悟します。一方で、ただ暗いような気持ちならないのは、紅葉が優美で儚く美しく、憧憬の的であるからです。このバランスを、自然界がとてもとても長い間保ってきたのだと思うと、ほんとうに感動するばかりです。

みなさんにとって、今年の紅葉はどうですか。通勤や通学の道中で、または公園や神社仏閣へ訪れて、もしくは紅葉狩りに出掛けて。ぼくは見つけると、「あっ!」と体が反応してしまい、撮るのに忙しいです。

写真:仁科勝介

【参考文献】
湯浅浩史「こども博物誌 植物とくらす」2018年、68—69頁。

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仁科勝介

写真家
1996年岡山県生まれ。広島大学経済学部卒。2018年3月に市町村一周の旅を始め、2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。2020年の8月には旅の記録をまとめた本、「ふるさとの手帖」(KADOKAWA)を出版。好きな季節は絞りきれませんが、特に好きな日は、立春です。

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