日本人は雨期を「梅雨」と呼ぶように、梅雨どきは梅の実が黄ばむ季節。その梅に塩をまぶして漬け込み、梅雨が明けて晴天が続く頃に、梅を干します。
前回は乾物が、日照不足で低下した新陳代謝を高める働きがあることを書きましたが、梅干しも、まさにこの太陽の光を浴びて、一気に完成される保存食です。天日干しをすると、みるみるうちにシワが寄り、たくましい姿に変身するのをみていると、なんだか無性にうれしくなります。
もっとも食中毒をおこしやすい雨期に梅の実が実り、その梅を使って、もっとも殺菌力の強い梅干しが完成し、夏を乗り切る力を与えてくれる。自然の摂理は見事なものだと思います。
中野駅の露地奥にある昭和の香りのする駄菓子屋さんに、大きなガラス瓶に入った梅干しが売られていて、量り売りをしてくれます。どれも塩だけで漬けた混ざり物なしの美味しい梅干しで、白いのや紫蘇につけたのや大小いろいろあるのですが、私は自然の塩がしっかり効いた小さい梅干しが好きです。
明治生まれの祖母は何かにつけて、「いいあんばい」という言葉を使っていました。「湯加減はどう?」「いいあんばいですよ」。
「あんばい」が「ちょうどよい」ことを意味することは、そんな会話から自然に覚えたのですが、あんばいが「塩梅」であることを知ったのは、大人になってからでした。
いい湯加減、いいさじ加減、いい塩梅。物事にはすべて「いいあんばい」があり、今は日本人の繊細な思いやりを含んだ言葉として、感じられます。何事もやり過ぎず、そして臆することなく、いい塩梅に。ちょっとしたことでもていねいに、タイミングを読んで、お天道様と相談をする。そんなふうに心がけて、日々を過ごしたいと思います。
「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり。この分け目を知ること、肝要の花なり」??『風姿花伝』
世阿弥のいう花は、どんな小さな物事の中にも宿っているのではないでしょうか。「神は細部に宿る」ともいいますが、小さなことの分け目や、気持ちを読める人は、めにみえない大きな世界や、自然の摂理をよく知っている人なのではないかと思うのです。日々の暮らしの中に、小さな花を咲かせていきましょう。