今年はじめて自主運営する中山間部の棚田で、田植えを始めました。春に始まった代掻き、苗代作り、田植え。夏には一本ずつていねいに草抜きをしてきました。そしてこれが最初の稲刈りの風景です。
コンバインの使い方を教えていただいて初めて挑戦しました。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
誰でも知っている言葉ですが、これは日本人独特の感性かもしれません。英語で稲穂は、ear of riceというのだそうです。英語圏の方々の稲穂は頭ではなく、耳にみえるようです。
natureの訳語として自然という言葉が使われるようになった明治以降のことだそうです。自然にという言葉は、元々、自ずから、そのように然り、という意味で「あるがままに変化する姿」であることです。日本人は元々、自然を対象物としてみていなかったのです。自分たちも自然の一部であり、つねに一体化し生きてきました。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」には、稲と自分が一体化し、実りに感謝し、深くおじきをする我が身の姿が稲穂の姿に重ね合わせているのです。
自分の手で苗を植え、半年で見事に実った稲を刈り取り、はぜがけをしてみると、稲と自分が同じめぐりの中にあって、ともに生かされているのだということを、あらためて実感します。これから約一ヶ月かけて天日干しにすることで、さらに太陽の恵みを受け、藁の中にある油分や甘味が稲穂に降りて、栄養分や甘味が増していくそうです。実際にお米になるのはまだもう少し先なのです。
自分たちでいただくお米を自分の手で作る。お百姓さんに長い間、お任せしてきたことを自分でやってみて、その喜びも大変さも初めて体感することができました。春の代掻きの頃、今頃の季節はみんなワクワクするんだ、といっていた農家の方の言葉が今、あらためてなるほどとおもいます。これから川場村は次第に寒さを増して、深い雪に埋もれていきますが、また来年、春がくるのがすでに待ち遠しいのです。
大勢での作業は和気あいあい。「結」の心が秋の空に広がります。
庭師の関口さんが完成したハッテにつけて下さった縁起物のとんぼ結び。