

初秋の風が吹き始めました。文月は夏の暑さと秋の始まりが、綱引きをする期間です。昼間は蝉が声高く鳴き、夜になると虫の音が聴こえ始めます。急に涼しくなったかと思えば、猛暑がぶり返す日もあります。
文月の別名は秋初月(あきはづき)。涼しい風が吹き始める涼月(りょうげつ)。
今年、虫の音に気づいたのは、8月7日。夜の静けさの中に、リリリリ、リリリリと虫の音が。しばらくその涼しげな声に耳を澄まし、「ああ、そういえば、明日は立秋だった」、と気づかされました。
年によって気候には暑さが長引いたり、涼しさが早く来たりと変動がありますが、今年は見事に立秋の日から急激に涼しくなったため、なるほど立秋かと、納得された方も多いのではないでしょうか。
「爽やか」という言葉がありますが、これは初夏ではなく、秋の季語です。清々しく、気持ちがよいということ。これを表現するために日本人は、春でも夏でも、そう感じたときに使うようになったのです。
ともかく「清々しく、気持ちがよい」ということ。まさにこれが、秋の醍醐味です。「爽秋」ともいいます。晩秋には寒くなってしまいますが、暑さの後だからこそ心地よく、日に日に深まっていく清涼感、清々しさは、有り難いものだとおもいます。その秋には、暑い夏を無事に乗り越えられた安堵感、稲の収穫を迎える充実感がともなっています。静かに深呼吸するような、清らかな安寧です。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる 藤原敏行
初秋は「竹の春」です。春に生まれ、夏の間に大きく勢いを増した笹竹が、風を受けて、ざわめく頃。昔の人々は「揺れるもの」に霊性を感じていました。サワサワ、ザワザワと揺れる笹や竹は、秋の訪れを告げるものであり、祖霊のためのヨリシロでもあったのです。
七夕の笹竹は水無月の大祓い(一年の折り返し点)とも関係があり、茅の輪の両脇に立てられてる笹竹を七日に水に流すという風習から、そこに願い事の短冊をつけるという風習に発展しました。七夕の行事そのものは中国の星祭りや、西王母、日本の瀬織津姫などの伝説が習合されたものですが、笹竹に願い事を吊るす風習は、日本独自のものです。
この七日の日は、必ず上弦の月になります。澄み渡った初秋の大空に、昔は今よりずっとはっきりと、天の河が見えていたことでしょう。その星の川にかかる月は、舟に見立てられてきました。
天の海に雲の波立ち月の船 星の林に漕ぎ隠る見ゆ 柿本人麻呂
千年のときを超えて空を見上げる人々に、ああ、そうだなあと、共感を呼んできた和歌です。さて、和暦七月十五日、つまり七夕のさらに七日後が、盂蘭盆会(うらぼんえ)になります。初秋の満月の日にあたり、祖霊を迎えるお盆の行事が古くから行われてきました。
江戸時代、祖霊だけでなく、現世でお世話になっている方々に、素麺やうどん、果物などを贈り合うようになったのが、今日の「お中元」のはじまりです。中元は道教の三元(天、地、水)のひとつで人間贖罪の日。上元は一月十五日の小正月にあたり、下元は十月十五日で収穫祭に習合されています。いずれも満月の日です。
先祖に感謝し、今生でご縁のある人にも感謝し、今この瞬間に生かされていること、たくさんのものを与えられて生きていること、その喜びを分かち合う。贈り物をしてもしなくても、言葉で伝えること、心のつながりを感じ合うこと。七夕に限らず、どんなときでも、それがいちばん大事なことではないかとおもいます。それさえあれば、人はどんな境遇にあっても、心の平安を得ることができます。支え合うことができます。
そして最終的には、大仰に言葉にしなくても互いの存在に感謝し、尊重し合えている状態が、もっとも自然で、美しい人間の姿なのではないでしょうか。ものいわぬ植物たちのように。
