

長月は夜長月。霜降を迎え、朝夕がめっきり涼しくなります。ひんやりというよりも、そぞろ寒い日が多くなり、陽気に恵まれた晴天の日は気温が高くなりますが、その分、朝夕の寒暖の差は激しく、ウールのカーディガンや上着など冬ものが必要になってきます。急速に冬へ向かっていく晩秋です。
長月十三夜の月は、中秋の名月にならぶ月見の日でした。「後の月」と呼ばれ、江戸時代にはどちらか片方の月しか見ないことを片見月といって嫌ったほどでした。晩秋の澄んだ空に浮ぶのは、黄色くて美味しそうな栗の月。栗名月です。ふっくらとしたかたちが、ことさら福々しく、あたたかくも見えます。果物やきのこなど、大地の豊かな実りとともに眺める月です。
今来むと言ひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな 素性法師
昔の人は秋の中でも、ことさら晩秋を愛していたようです。「有明の月」は、明け方まで空に残る下弦以降の月で、有明の月を詠んだ和歌は、数え切れないほど多いのです。百人一首にも何度も登場しますので、子供の頃、小倉かるたでは、とりずらい札だと思っていました。しかし、大人になって、年を重ねるごとに、終わりゆく秋を重ねて、欠けていく月はことさらしみじみとして、味わい深いものだと感じるようになりました。
ものさびしく、枯れてゆく小さな秋草は、確実に次の年への種を残していきます。一方、樹木は自ら光合成を止めて華やかに紅葉して葉を落とし、来年の準備に入ります。早いものはもうしっかりと小さな冬芽をつけています。
なんというわびしさ、なんという豊穣。静けさの中に行われる、この命の循環のダイナミズムが、秋の醍醐味です。
七十二候では「小雨、時々降る」「楓や蔦、黄ばむ」などがあります。
「時雨をいそぐ紅葉狩 時雨をいそぐ紅葉狩 深き山路を尋ねん。」
謡曲『紅葉狩』の冒頭の詞章です。晩秋から初冬にかけては小雨がよく降ります。静かな雨が色づいた木の葉をより一層、鮮やかに燃え上がらせる雨です。
