

梅の実が黄ばみ、梅雨入りする五月雨月。さみだれは当て字で、サは聖なる、ミダレは水垂れ。田植えを終えたばかりの稲の成長に欠かせない雨が降ります。梅雨入りは、米を主食とする日本にとって、恵みの雨です。
我が身にふりかかる雨も、見渡してみれば、ありとあらゆるものに降り注いでいます。目の前の小さなことにとらわれていると、全体がみえなくなります。「一雨千山を潤す」。この地球に共に生きる生命を愛しみ、大きく想像の羽を広げて観ること。視点を変えてみれば景色は変わるという教えです。
紫陽花の語源はアジ(集)サイ(藍)。別名、四葩(よひら)とも。雨に濡れてたちのぼる土の匂いは、土壌の酵素と呼ばれる放線菌の香り。五月晴れは、梅雨の合間の清々しい晴天です。
夏至を迎える皐月は陰陽が争い、生死が分かれる忌月でもありますし、薬草とりをする薬月でもあります。植物の生命力が高まるこの時期は、薬草狩りの季節。花の咲く頃、もしくは直前にとることが多く、薬草だけでなく、白い花をつける紫草(ムラサキ)の根など、染料になる植物を採取した。紫根染めは、今では幻の染めになってしまいました。
五月五日に降る雨を、薬雨ともいいます。その雨で、医薬を製すると特に薬効があるとされていたのです。じめじめした邪気を払う皐月は、いわば日本のアロマテラピー月間。邪気を祓う薬玉のルーツは、菖蒲やよもぎを糸で丸めた簡素なものでしたが、次第に香料を詰めた豪華な玉になっていきました。
玉にするのは霊魂の象徴で、別名、続命縷(しょくめいる)といいいます。命が続くことを願って五色の長い糸を垂らします。夏は疫病で命を落とす人が多く、半夏生や中元にうどんや素麺を食べるのも、糸と命を結びついていたためです。
紫陽花や帷子時の薄浅黄 芭蕉
「浅黄に銀のひとつ紋」は、まだ薄青い夏の空にポンと大きく上がる月を、浅黄色の裃(かみしも)の背中につける、銀の一ツ紋に見立てた常套句です。浅黄色は藍染めのごく薄い水色。黄色がかった薄い青です。藍は染める回数によって、ごく浅い瓶覗きから、水浅黄、浅黄、縹(はなだ)、紺、濃紺へと変化していきます。
「青は藍より出でて藍より青し」
日本は藍によって多彩な青の文化を育みました。藍で染めた布は耐久性が増し、防虫・殺菌作用もあります。紺屋はいつも忙しく、他人のものばかり染めて自分のものには手が回らないことから「紺屋の白袴」ということわざがあります。
「大気全体が、こころもち青みを帯びて、異常なほど澄み渡っている。」
明治23年に来日した小泉八雲は、青い空の下に青いのれんを下げた店が並び、人々は青い着物を着て笑っていた、と「藍の青」に包まれた当時の日本を記しています。安藤広重など名勝を描いた浮世絵でも、目にしみるような藍の美しさが印象的です。明治まで藍は暮らしの中でごく身近なものでした。藍生産の最盛期は明治30頃。安価なインド藍や合成染料の導入によって一気に衰退しましたが、今でも日本の紳士達は紺のスーツ、サムライブルーを正装に用いています。
梅雨時は青い紫陽花や鉄線、アヤメなど、雨に濡れると一層輝いてみえる青や紫の花が多くなります。青は神秘の色。微妙に変わる空の青、水の青、花の青、自然界に存在するジャパンブルーを感じてみてください。
