

ほぼ冬至と重なる十一月二十三日は「霜月三夜」「三夜待ち」と呼ばれ、三が産に通じることから、子宝や子育ての平安を願う女性達の講が多く行われていたようです。
仏教や神道の影響を受けながら継承されているため、本尊はそれぞれ異なりますが、仏教では勢至菩薩、神道では月讀命(つくよみのみこと)です。月讀命は月齢を数えて暦を司ることから、先を読む農耕の神、また潮の満ち引きに関係することから漁業の神として信仰されていたようです。
江戸時代、月待ち講は全国で盛んに行われていました。月の出を待って夜中まで語り合う月待ち講は、十九夜、二十一夜、二十三夜、二十六夜とさまざまですが、なかでももっとも多かったのが「二十三夜待ち」でした。
二十三夜はちょうど下弦の月の夜です。月の出は毎日約1時間ほど遅くなります。下弦の月は真夜中になって、ようやく上がってくる月で、夜更かししていないと見られません。その月の出を待って飲んだり食べたりしながら、語らう風習があったのです。古代においては、新月や満月は重要な節目でしたが、その中間である半月も重要視されていたことの名残りでもあります。
私は友人たちと数年前から月待ち講を始め、下弦の月の日に静かに語らうことを続けています。そのときに用いているのが、人の話を遮らずに、順番にゆっくりと話すというシンプルな方法です。昔の人はもっとのんびりと時をすごしていたはずですが、現代人は案外、人の話をゆっくり聴く機会があるようでないのではないでしょうか。
日本語では傾聴ともいい、ネイティブ・インディアンのトーキングサークルのやり方でもあります。自分の経験や判断、わき起こる感情を置いて、全霊でその人の心が紡ぎ出す言葉、その言葉の奥にあるもの、その人の存在そのものを受け取ります。そこにノンバーバルなコミュニケ-ションが生まれます。しゃべる人は焦らない。聴く人も急かさず、掻き乱さない。これは、すぐに答えを出さず、求めず、ゆっくりと待つことに通じています。
さて、陰陽五行の霜月は、方角では真北、時間では午前零時の真夜中、十二支では子(ね)にあたり、一年の始まり、ゼロポイントを意味します。和暦の霜月は必ず冬至を含む月になります。
冬至は、陰極まって陽に転じる時。霜月は一陽来復ともいいます。一陽来復は、悪いことが続いたあと、物事が好転することをさす言葉としても使われています。
人生には色々なことが起こります。自分の力ではどうにもならないことや、理不尽なことに見舞われることもあります。日々の小さな発見や学びはつねにありますが、私は基本的に、起きていることの本当の意味は、その時点ではほとんどわからないものだと考えています。
禅語の「両忘」は、二元的な考えをやめ、両方とも忘れることで、心の平安が得られるという教えです。人は大人になるにつれ、知識や経験、感情に支配され、あるものをあるがままに見ることができなくなります。
実際に起きていることはただ現象だけであり、吉凶や善悪を決めているのは、人間の解釈にすぎません。すぐには判断がつかないことも、ゆっくり時を待つことができれば、時を経た時、自ずと答えがでます。そして、すぐには答えがでないことほど、のちのちになってみれば大きく深い学びが得られるようにおもいます。悪いことだと思っていたことが実はいいことであったり、反転することが多いのです。
最後に十二支についてお伝えしておきたいとおもいます。十二支の起源は十二年で一周する木星の観察に由来し、古代中国で使われ始めた数詞で、永らく動物があてられて年賀状などで親しまれていますが、十二支の漢字は本来、以下のように、草木の一年の様子を意味し、自然界のサイクルを見事に表しています。
霜月は、種子の中に新しい命が芽生える月です。人間の古い価値観や概念も終わりを告げたとき、同時に新しいものが生まれます。その目覚めは微細な命を養う大地の下にあって、なかなか目にはみえないものですが、私たちはそれを感じる心を持っています。
地の底に或るもろもろや春を待つ たかし
