

ますます栄えること、いよいよ、あまねく満ちることを、弥栄(いやさか)といいますが、弥生は、草木がいよいよ生い茂る「いやおい」の月です。大地は緑に染まり、木々は日毎に盛り上がるように勢いを増し、天も地も、初々しい緑に染まっていきます。
弥生はまさに春爛漫、すなわちこれが晩春です。百花繚乱の季節でもあり、桜に続いて咲き始めるさまざまな花が咲き乱れ、思わず大きくのびをしたくなるような、うららかな陽気に誘われて、戸外に出ずにはいられない日があります。かと思えば、しとしとと穀雨の雨も降りますが、この恵みの雨は植物にとっては、ご馳走のように嬉しい雨でもあろうかとおもいます。
古くから伝わる花便りに、「二十四番花信風」と呼ばれるものがあります。江戸時代の文献、『和漢三才図絵』にも掲載されており、梅が咲き始める小寒から晩春の穀雨までの八節気(四ヶ月)に渡り、約五日毎の二十四候に、花の名前があてられています。
桜と入れ替わりに咲く花海棠、濃い赤紫の花蘇芳や、大きくて優雅な紫木蓮、あわいピンクのミツバツツジ、黄色の深さに毎年しみじみと見入ってしまう山吹も、花の盛りを迎えています。天気のいい日には、ほんのりと花の香りに気づいて、どの花かしらと探してみたりすることがあります。新しい花が咲く度に風が吹くかのようでもあり、風がまた、その開花を知らせるかのようでもあります。そんなところから「花信風」という言葉が生まれたのでしょうか。それぞれに気づく、それぞれの花便りがあることでしょう。
春雨の露のやどりを吹く風にこぼれてにほふ山吹の花 源実朝
鮮やかな山吹色が燃える中、晩春の雨がしとしとと降ります。山吹の盛りには、必ず雨が降ります。そのため、山吹と雨を詠んだ歌は昔から多く詠まれてきました。濡れた山吹の黄色は一層、美しく輝くかのようで、そこの宿る露も美しいものです。
七重八重花は咲けども山吹の 実の(蓑)ひとつだに無きぞかなしき 兼明親王
この和歌は古くから広く知られ、蓑に掛けて「山吹と雨」を楽しむのが常であったことがわかります。山吹は実のならない植物であることから、「実の」と「蓑」をかけた歌になっています。その古歌にまつまる、太田道灌の山吹伝説があります。
あるとき出先で、にわか雨に見舞われた太田道灌が、通りがかりの貧しい家に立ち寄り、蓑を借りたい、と頼んだところ、幼い女の子が出てきて、蓑ではなく、一枝の山吹の花をさしだしたのです。家人は「実の(蓑)ひとつだに無きぞかなしき」の古歌をなぞって、実に奥ゆかしく、蓑がないことを伝えたのでしたが、道灌はこの有名な歌を知らなかったために、憤慨してしまいました。しかし後にこの古歌を知らず、無教養であったわが身を恥じ、以来、歌道に励むようになったとされています。真偽のほどはわかりませんが、貧しくともこの古歌を知っており、こんな粋な表現ができる人たちがいたのだと想像するのは楽しいものです。
春雨や蓑かりに来る人もなし 高月虹器
江戸時代、吉田千家の一派をなし、生け花の家元をしていた高月家の先祖が残した山吹の絵に、この句が添えられていました。もちろん、この有名な和歌をベースに詠まれていることがわかります。高月家の日記には毎日のように、四国のお遍路さんに食事を出していた記録が残されており、ぼんやりと山吹にかかる雨を眺めながら、誰も蓑をかりにこないなあと思っていた主の姿を想像しながら、現世の私はまたぼんやりと、東京の雨を眺めています。
雨の日の山吹。日本ならではの美しい心が宿っています。
