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こよみの学校 第265回 幕府天文方の実態に迫る

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最近、佐藤賢一・梅田千尋・平岡隆二編『幕府天文方の研究』(思文閣出版、2026)が出版され、4ヵ月余りで二刷がでました。昨今の学術出版としてはたいへんめずらしいことです。他方、日本カレンダー暦文化振興協会(暦文協)では編者の中でも中心的役割を果たされた佐藤賢一氏を招き、8月5日(水)に講演会とトークセッションを東大弥生講堂で開催しました。講演会のテーマは「幕府天文方の誕生から最期まで―暦を作り続けた人たち」であり、トークセッションには片山真人氏(国立天文台暦計算室長)と小田島梨乃氏(東大大学院博士後期課程)が加わり、筆者の司会で議論を深めました。以下、おもに3点に絞って幕府天文方の実態に迫ってみたいと思います。

マージナルな組織としての幕府天文方

幕府天文方は1684年に設置され、貞享の改暦に尽力した渋川春海が初代に任じられました。当初は寺社奉行支配でしたが、1746年に若年寄支配になります。また、渋川家で代々引き継ぐという体制もとれませんでした。むしろ時代の要請にしたがって有能な人物を登用することが頻繁におこなわれました。石高もせいぜい200~300俵でした。他方、貞享改暦まで幕府側には天文観測をおこなう組織すらありませんでした。「天文台」もようやく1748年に神田佐久間町に設置されたのが初めで、1765年に牛込に移り、さらに1782年に浅草に転じて明治を迎えました。そして、浅草天文台の観測機器類の一部は開成学校に移管されましたが、多くは民間に払い下げられ、敷地も空き地になってしまいました。

しかし、天文方の関係者の一部は明治政府の役人として「天文局」などの職務についていました。柴山伝之助一族の正純・正秀・正邦はその例ですが、渋川家でも孫太郎(敬典)が天文暦道御用係として暦原稿の作成を担っていました。しかも1887年の皆既日食の観測隊には柴山正邦が千葉に、渋川敬典は宇都宮に出張していたという興味深い事実が掘り起こされています。

西洋天文学の導入

幕府天文方の主要業務は天体観測にもとづく暦の作成にあることは言を俟ちません。とりわけ西洋天文学の導入が鍵を握っていました。これに熱心だったのが8代将軍・吉宗です。かれはみずから望遠鏡で土星や金星、さらには太陽の黒点観測までおこなったようです。しかし、宝暦(ほうりゃく、ほうれき)の改暦は中途半端に終わってしまい、改暦直後の日食予測も外してしまいました。

吉宗はまた数理科学書の収集にも熱を入れました。1726年に長崎に渡来した『暦算全書』(梅文鼎著)の訓点訳を命じ、建部賢弘と中根元圭がその任に当たりました。それに先立ち、吉宗は長崎の唐蘭御用である向井元成を通して、同書をたった5カ月あまりで江戸まで届けさせた経緯を平岡隆二氏が詳らかにしています。

吉宗の執念は寛政の改暦に引き継がれ、大坂から招聘された天文学者・高橋至時(よしとき)や同門の間重富(はざましげとみ)の主導で実を結びました。その際、漢訳西洋天文学書(『暦象考成後編』)や最先端天文学書(『ラランデ暦書』)が役に立ちました。さらに至時の次男で渋川家に養子入りした渋川景佑(かげすけ)が江戸最後の改暦である天保暦を1843年に完成させました。天保暦の体裁は「伊勢暦」ですが、中身は世界最先端の天文学を取り入れたハイブリッドな暦でした。

開陽丸引き揚げ文書

佐藤賢一氏は2019年、函館の学会のあと江差町の開陽丸記念館を訪問しました。函館戦争のさなか江差沖で沈没した幕府の軍艦・開陽丸が引き揚げられ、その遺品が展示されているからです。そのなかに何と天文方で保管・使用されてきた文書が含まれていたのです。かろうじて原形をとどめていた文書には和算の記号や天文学の計算式が書き込まれており、後日、佐藤氏が詳細な調査をおこなうこととなりました。先述の『暦算全書』の一部も含まれていました。90枚に及ぶ文書の紙片は天文方の見習いであった山路一郎が持ち出したものでした。その理由は明らかではありませんが、作暦なくして国家は成立しえないからでしょうか。トークセッションで国立天文台の片山氏は「幕府として出すべき暦のための資料だったのでは」と推測しています。

それはともかく、開陽丸引き揚げ文書の「歴史的大発見」がきっかけとなって『幕府天文方の研究』の編集がはじまり、今年の刊行と重刷につながったことは、暦研究にとっても画期的な出来事と言えるのではないでしょうか。

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中牧弘允

文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書に『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)、『こよみの学校』全5巻(つくばね舎)、編書に『世界の暦文化事典』(丸善出版)など多数。

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