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こよみの学校 第262回 ベンガル暦-4月14日を年初とする暦

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バングラデシュのカレンダーには西暦(グレゴリオ暦)、イスラーム暦(ヒジュラ暦)のほかにベンガル暦が併記されています。これは人口の約7割を占める農民が主に使っている太陽暦です。その新年は西暦の4月14日と決まっています。しかし、インド西ベンガル州のベンガル暦では4月15日になる年もあります。どうしてそのようになったのか、簡単に説明しておきましょう。

ベンガル暦の歴史

ベンガル暦は西暦594年4月14日にショシャンコ王によって制定されたという説があり、紀元をそこに定めています。それはイスラームの発生以前であり、ヒンドゥー暦に準ずるものでした。その後、ベンガル地方のイスラーム化が進み、太陰暦のイスラーム暦が使われるようになりました。しかし、太陰暦は太陽暦と年に約11日のずれがあり、農業には不向きでした。実際のところ、収穫のない時期に納税を課せられるのが農民にとっては不都合だったのです。そのため1584年、ムガール朝のアクバル皇帝が税の徴収を目的にヒンドゥー太陽暦とイスラーム暦を合わせて改定した暦を用いるようになったのです。それは「神の暦(ターリキ・イラーヒー)」と名付けられ、今でもベンガル地方には残っています。

インド最大のイスラーム帝国であるムガール朝は19世紀の半ばに滅亡し、ベンガル地方もイギリスの統治下となりました。西暦が使われるようになったことは言うまでもありません。20世紀になるとベンガルは東西に分割され、おなじベンガル民族でも西側はヒンドゥー教徒、東側はイスラーム教徒が多数を占めるようになりました。かくして1947年、インドとパキスタンは英領支配から脱することになり、「イスラーム」を旗印に東西のパキスタンが誕生しました。しかし1971年に東パキスタンは「ベンガル」を合言葉に独立し、バングラデシュ(ベンガルの国)を名乗るようになりました。そうした歴史を象徴するかのように西暦(大英帝国)、イスラーム暦(ムガール帝国)に加えてベンガル暦(地方独自の太陽暦)が併用されるようになったのです。

ベンガル暦の特徴

アクバル帝の「神の暦」は1584年3月10/11日に導入され、いわゆるベンガル正月(ポヘラ・ボイシャク)を祝うようになりました。バングラデシュでは1987年から西暦とのずれを修正し4月14日に固定され、インドの西ベンガル州では伝統にしたがい4月15日の時もあるという次第です。正月には女性は赤のボーダーをもつ白いサリー、男性は白のドーティーとクルタ―をまといます。これは1880年代、タゴール家に代表されるベンガルのナショナリストたちがサリーとドーティーを国民服にしようとしたことに端を発しています。

また正月のボイシャクをはじめ各月には独自の名称があり、加えて2ヵ月ごとに春、夏、雨季(モンスーンの時期)、秋、霜季、冬というように、目安となる季節名がつけられています。

ベンガル正月の展示

2025年大阪・関西万博のバングラデシュ館には「文化と祝祭」と銘打ったコーナーがありました。そこではイスラームの祝祭を紹介すると同時にベンガル暦の新年にも言及がなされていました。「街の通りは突如、音楽、パレード、紅白の衣装をまとった人々であふれかえり」、その大行列(マンガル・ショブハジャトラ)はユネスコ無形文化遺産に登録されている、と解説文には記されていました。そして、その横に置かれた展示ケースをみると、インド象とベンガル虎、ならびに紅白の衣装を確認することができました。

ベンガル暦の正月行列(筆者撮影)
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中牧弘允

文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書に『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)、『こよみの学校』全5巻(つくばね舎)、編書に『世界の暦文化事典』(丸善出版)など多数。

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