木や竹のカレンダー
インドネシアのスマトラ島北部に住むトバ・バタク族のあいだでは木や竹でつくられた暦がつかわれていました。竹製の円筒形のものもあれば、彫刻がほどこされた木片に短冊形の竹を12本取り付けたものもあり、いまでは両者とも土産物として人気をほこっています。しかし、かつては瓢箪型の木の表面に暦を刻んだものもあれば、蛇腹にたたんだ豆本のような木製暦もありました。形は異なれ、ポルハラアンとよばれる暦はひと月30日の12ヵ月からなる1年360日の暦でした。

バタク族はバタク高原にあるトバ湖周辺に居住し、人口は300万人を越え、6つのグループに分かれています。トバはそのひとつで、バタク人口の約半数を占め、大きな美しい湖の南に暮らしています。オーストロネシア語族系のバタク語にはインド起源とかんがえられる固有の文字があり、暦にはさまざまな記号がつかわれています。さきほどの豆本のような暦には前半には記号が並び、後半部は占星術や薬用処方箋に関する文字情報で埋められているそうです。
サソリの日には注意!!
暦の記号のなかでもっとも目を引くのはサソリです。毎月かならず登場し、頭、胴、尻尾からなり、それぞれ1日、2日、1日の計4日分を占めています。この期間は厄日(やくび)ないし忌日(いみび)とされ、儀式は避けなくてはなりません。そのルーツもインドとされ、ポルハラアンのハラはバタク語でサソリを意味していますが、サンスクリット語のカラ(時)に通じているとする解釈があります。それによれば、バタク暦はサソリを中心に循環するインド伝来の時間概念を引き継いでいることになります。

次に目立つのは00の記号です。これは果実の熟す日で、結婚にもふさわしい日です。網目模様の記号も点在しています。これはまさしく魚網を意味し、トバ湖での漁に適した日とされています。月に3日から10日までのバリエーションがあります。年に2回しかあらわれない記号もあります。9月8日と10月10日です。これは吉日で、あらゆる贈り物を交換する日と定められています。このようにポルハラアンは通常1年360日の12ヵ月からなる循環暦ですが、閏月を入れた13ヵ月分のものもあるようです。
現代的な紙製カレンダー
かつてトバ湖を訪問した時、湖北に住むカロ・バタクの現代的壁掛けカレンダーも入手しました。粗末な紙ながら、黒、赤、緑の三色刷りの名入れカレンダーでした。伝統家屋のデザインがあしらわれていて、民族風カレンダーの味もかもしだしていました。月名や曜日はインドネシアで一般的なもの、つまりインドネシア語でしたが、日にちの数字の下に29ないし30の小さな数字のサイクルがみられました。したがって太陰暦であることはまちがいありません。それは29日の月と30日の月が交互に配されていますので、中国の太陰太陽暦にみられる大の月、小の月ではなく、イスラームのヒジュラ暦ではないかと予想できます。なぜならヒジュラ暦では奇数月は30日、偶数月は29日と決まっているからです。実際、カロにはイスラーム教徒もいますので、かれらに配慮したものなのでしょうか。暦の欄外には赤字で祝祭日が記されていますが、そこにはキリスト教とイスラームの祭日が仲よく並んでいます。

気になるのは、1日はAditia(太陽)、2日はSuma(月)、3日はNggara(火星)といった具合に、バタク語で日毎の名称が記されていることです。その一覧表が最後の頁についているのですが、「国語」のインドネシア語ではなく「民族語」のバタク語のため、いまだに十分解明できないままでいます。七曜のサイクルとTula(満月)や上・下弦などの月の満ち欠けのサイクルとの調整をはかりながら、吉凶と関連づけていることまではわかるのですが。
【参考文献】
篠塚英子「インドネシア―バタック族の暦」小島麗逸・大岩川嫩編『「こよみ」と「くらし」―第三世界の労働リズム』アジア経済研究所、1987年。

中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。