エチオピア正教会はエジプトのコプト教会ともども古代エジプトの太陽暦を継承し、30日の月が12ヵ月と、5日(閏年は6日)の追加日(エパゴメネ)から成り立っています。1年13ヵ月で、たとえば1月はメスケレムと呼ばれていますが、ここでは第1月と表記します。年始は西暦9月11日(閏年は9月12日)で、キリスト生誕紀元を採用していますが、西暦と比べると7~8年遅くなっています。
平信徒でも年の半分は断食日
エチオピア正教会の教会暦(以下、エチオピア暦)には聖職者や平信徒が守るべきとされる断食日が多く、聖職者は約250日、平信徒の場合でも約180日を数えます。毎週、水曜日と金曜日は基本的に断食日です。水曜日はユダヤ教徒の評議会がイエスの処刑を決めた日であり、金曜日はイエスが十字架にかけられた日で、縁起が悪いからです。とはいえ、その日がイエス聖誕祭、公現祭、あるいは復活祭から聖霊降臨日までの期間にあたる場合は、喜ばしい日なので、断食をする必要はありません。
水曜日と金曜日以外で断食に服する日は次の表にまとめられています。比較的長期の断食はデブレ・クスクワムの断食、キリスト聖誕祭前の断食、四旬節、12使徒の断食、聖母被昇天の断食です。

断食の掟(おきて)
断食とは言っても絶食とは異なり、飲食の回数や種類をひかえることを意味しています。ふつう断食日には1日1食(夕方もしくは15時以降)を原則とし、肉類・卵・乳製品などの動物性タンパク質を摂取しません。魚については個人に判断がゆだねられていましたが、1993年に総主教によって公式に禁止されるようになりました。とはいえ、聖職者と平信徒では厳格さに大きな違いが見られ、平信徒の場合には個人裁量の余地も多くあります。たとえば、聖職者は前日の夜10時から断食にはいり、午後3時の聖餐式に臨むまでは何も口にしません。一般信徒の場合は、動物性タンパク質をさけるだけで良しとするむきもあるようです。くわえて、食の規制だけでなく、重労働を避けたり、性交渉など肉体的な欲求を抑制したりすることも原則となっています。

断食明けの食事
長期の断食が明けると人びとは脂肪分が豊富に含まれている乳製品や肉を大量に摂取します。文化人類学者の上村知春はキリスト聖誕祭におけるある家庭の例をとりあげ、シコクビエやトウモロコシを原料とする乳酸発酵したパンケーキ(インジェラ)を朝早くから焼き、子どもたちは自家製チーズと香辛料からつくる料理(マタタイプ)をその表面に塗って、祈ることも忘れて口に入れ、黙々と食べたと報告しています。他方、親たちは食前の祈りをささげて、しずかに、けれどもふだんよりゆっくり味わったと述べています。また、男の子たちは2羽の鶏を屠殺し、夫人と娘たちが断食中に大切に保管していた卵をゆで、鶏肉に人数分の卵を加えて鍋料理(ワット)をつくり、残ったゆで卵は調理にかかわった女性たちだけですばやく食べきったそうです。

上村によると、アムハラ人にとって家畜の屠殺は男性のみが許され、ふだんは調理に参加しない男性による鶏の屠殺は、断食明けを象徴する「祝い」の実践であると指摘しています。また女性たちも断食明けのある種の高揚のなかで、貴重な卵の小さな「共食」を楽しんだと解釈しています。つまり教会暦における断食明けの「祝い」や「共食」は教会や儀礼の場に限定されるわけではなく、見方によっては一般の家庭でも実践されているのです。禁欲(断食)と解放(祝宴)は公の儀礼的な場では対照的でドラマチックに展開するとしても、家庭のような私的な場面でもささやかに、時として無意識的に実践されていることに、もっと注意を向ける必要があるのかもしれません。

【参考文献】
石原美奈子 2014 「国家を支える宗教―エチオピア正教会」石原美奈子編『せめぎあう宗教と国家―エチオピア 神々の相克と共生』風響社、25-87頁。
上村知春 2023 「聖日を『祝う』―エチオピア正教会信徒の食の実践に着目して」『文化人類学』88巻1号、5-24頁。

中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。