津田梅子といえば日本最初の女子留学生の一人であり、津田塾大学の創立者としても有名ですが、これからは5千円札の肖像画の人物としておなじみとなることでしょう。北里大学の「学祖」、北里柴三郎と同時にお札に採用されたことは両大学の関係者にとっては大歓迎であるにちがいありません(※)。これまでは慶応義塾大学の「先生」、福澤諭吉の独壇場でしたから。
学友の手づくりカレンダー
それはともかく、津田梅子には生涯大切にしていたカレンダーがあります。それは2度目の留学先であるブリンマー大学(フィラデルフィア郊外)の学友たちが梅子に贈った手作りのカレンダーです。各人が1893年の各月を担当し、月表のほかに挿絵や詩、あるいは個人的なメッセージを書き込んだものです。月表は手書きで、それぞれに個性があり、黄色いリボンをつけたものまでありました。挿絵もさまざまで、2匹の蛙が見合っているもの、くもの巣や昆虫を描いたもの、あるいは帽子をかぶって椅子に座る女子学生の姿(梅子かどうかは不明)もありました。3月のカレンダーには2匹の蛙の下に4節の詩が添えられていました。 調べてみたらイギリスの詩人ウィリアム・ワーズワースがその妹ドロシーにあてた「To My Sister(妹へ)」(10節)であることがわかりました。とりわけ梅子の友人が選んだ第1節と第5節はカレンダーの用語が鍵となっています。ちなみに詩型はABABです。
“It is the first mild day of March,
Each minute sweeter than before
The redbreast sings from the tall larch
That stands beside our door.”(第1節)
“No joyless forms shall regulate
Our living calendar
We from to-day, my Friend, will date
The opening of the year.”(第5節)
拙訳 “3月の最初の穏やかな日
分ごとに前よりもさらに心地よく
ドアの脇に立つ高いカラマツの上で
ロビン(コマツグミ)が啼く”
“どんなつまらないもの(喜ばしくないもの)でも
われわれの生きたカレンダーを規制することはない
わが友よ、今日からわれわれは日付をつけよう
1年のはじまりの”
梅子にこの詩を献じた学友は「3月」「1年のはじまり」「生きたカレンダー」「日付」といった詩人の発想をすかさず思いついたにちがいありません。しかも同時に、生物学を専攻し蛙の研究に没頭していた梅子の姿も想起したはずです。
生物学それとも女子教育
津田梅子はブリンマー大学で「蛙の発生」について研究し、のちにノーベル賞を受賞する指導教官との共著論文をまとめています。しかし梅子は研究者の道をえらばす、1892年8月に帰国し、女子教育に邁進することになりました。NHKBSの人気番組「英雄たちの選択」はこの点をとらえて、「女子教育のその先へ 〜津田梅子・科学への夢と葛藤〜」を2022年7月27日に放送しました。そのなかでわたしは学友たちによるお手製のカレンダーの存在をはじめて知りました。番組の宣伝では「科学への夢か、女子教育への志か・・・。津田梅子の苦渋の選択と知られざる実像に迫る」と謳っていました。
それにしても学友たちがプレセントしてくれた手作りカレンダーは帰国後の梅子にとっては宝物だったにちがいありません。手書きのメッセージにも大いに励まされたはずです。欧米では梅子の時代に限らず今でも手作りカレンダーは人気があります。わたしもドイツの友人からもらったことがあります。親しい間柄のクリスマス・プレゼントとしても重宝されているようですが、絵心のないわが身としては製作には尻込みせざるをえません。
(※)渋沢栄一も財界人として1888年の東京女学館開校時に資金面での協力を惜しまず、1930年には第5代館長に就任しましたが、翌年永眠しています。なお、東京女学館は1956年に短期大学を設立し、2002年に4年制の女子大学に移行しましたが、東京女学館大学は2017年に閉校しました。
中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。