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こよみの学校 第244回 本居宣長の真暦考―漢意に染まっていない上つ代の暦

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本居宣長(1730-1801)は伊勢国松坂(現、松阪)の商家に生まれ、京都で医術を学び、帰郷して医業に従事するかたわら、源氏物語を講ずるとともに、記紀の研究にも励んだ国学者です。とくに1764年から起稿し1798年に脱稿した『古事記伝』全44巻(版本の刊行は1790-1822)は近世における日本神話研究の頂点をなす注釈書とされ、文献学的にも実証主義の観点からも高い評価を受けています。最近では宣長の研究手法とその思想は西欧の現象学的解釈学に通ずるところがあるとされ、たとえばポール・リクールの「神話的言語の象徴機能」との対比が試みられています(岩澤 2024)。

本居宣長

漢意の排除

宣長の思想的立脚点は終始一貫「漢意(からごころ)の排除」でした。「漢意」は宣長の造語ですが、東アジア世界の大国である中国の精神文化を象徴させた表現です。そのことは記紀においては漢文の形式に則って書かれた『日本書記』を排し、漢字を当てるとはいえ上古の音声言語をそのまま表記するところの『古事記』を重視する態度につながっていました。一例をあげると、「天地開闢(てんちかいびゃく)」を語るときに中国思想や『日本書記』では「陰陽の理」を使うのに対し、『古事記』では「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」をはじめとする神々の名を連ねています。宣長はそこに注目し、カミを「尋常ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云うなり」と述べています。さらにカミは「貴きもあり、賤(いやし)きもあり、強きもあり、弱きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行(わざ)もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば、大かた一むきに定めては論(い)ひがたき物になむありける」と続けています。つまり、カミの多様性を認め、人間の小賢しい知恵を超えて「尊きをたふとみ、可畏きを畏みてぞあるべき」と結んでいます。

真暦

宣長の暦への関心も漢意が存在しなかった時代に遡ります。それは「上(かみ)つ代(よ)」であり、「神代(かみよ)」とも記され、「からくに」や「もろこし」の影響を受けなかった頃の暦です。それを宣長は「真暦(まことのこよみ)」と名づけ『真暦考(しんれきこう)』という小論を1782年に執筆し、1789年に刊行しました。その冒頭の文章をまず紹介しましょう。

あらたまの年の来経(きへ)ゆき、かへらひめぐらふありさまは、はじめ終(をはり)のきははなけれど、大穴牟遅(おほなむち)少名毘古那(すくなびこな)の神代より、天(そら)のけしきも、ほのかに霞の立(たち)きらひて、和(のど)けさのきざしそめ、柳などももえはじめ、鶯などもなきそめて、くさぐさの物の新(あらた)まりはじまる比(日:筆者注)をなむ、はじめとはさだめたりける

他方、「から国」では時代によって異なる年初を定め、まぎらわしくて、民のわずらいになり、よいことはひとつもない、と断じています。いっぽう、わが国の上つ代の四時(よつのとき=春夏秋冬)は、「はじめ」「なかば」「末」の区別はあっても、何月何日という月次(つきなみ)・日次(ひなみ)は定めておらず、月の満ち欠けとは別のことと認識していたと論じています。また、月次も中国のように朔ではなく、「西の方の空に、日の入りぬるあとに、月のほのかに見えそむる比」とし、それから10日間ほどを月立(ついたち)、その後の10日間を望(もち)、その後の10日間ほどを月隠(つごもり)にしたと主張しています。さらに、年号や十干十二支による紀年法とも無縁であった、と付け加えています。つまり、日本の上代の暦は中国にならったものではなく、閏月による季節と月の満ち欠けの調整もおこなわず、おおらかに今でいうところの”自然暦”を生きていたと理路整然と著述していました。そして末尾では、『日本書紀』が上代についても中国暦にならって年月日を付けたこと、ならびに渋川春海にはじまる「長暦」などという、神武天皇に遡って年月日を定める営為を批判しています。

歴史学者の桃裕行は宣長の真暦は「古代人に投映させた」ものと捉えており、その発想は中国暦の太陽暦部分である二十四節気や立春正月節に由来し、太陽暦である阿蘭陀(オランダ)の暦にも「一つの閃き」をえたと推測しています。

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中牧弘允

文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。

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