コトと節
正月をはさんで事始め、事納めとよばれる行事が全国的にみられます。その典型は事八日(ことようか)ですが、事とは大和ことばのコトであり、中国の節(せつ、せち)にあたります。コトは祭事の折り目を意味し、仕事を休みカミゴトをおこなう日でもあります。ちょうど節供(せっく)がお供えをして節の日のお祭りをすることと同様です。旧暦の五節供といえば人日(じんじつ、正月7日)、上巳(じょうし、3月3日)、端午(たんご、5月5日)、七夕(たなばた、7月7日)、重陽(ちょうよう、9月9日)を指すことは言うまでもありません。平安時代の貴族の日記には節供とか節会(せちえ)と書かれていましたが、江戸時代になると節句という書き方もあらわれ、明治時代に一般化しました。
コトのほうでは奥能登のアエノコトが民俗としてよく知られています。漢字では「饗の事」と解釈されてきましたが、秋に田の神を家に迎え、春に田に送るという年中行事です。家の当主が田の水口(みなくち)から男女二神をあたかも道案内するかのように家に迎え、風呂に案内し、米俵を依り代とした祭壇に山の幸・海の幸を盛って供えるといった風習です。田の神は盲目なのでいちいち口に出して供え物の説明をするというのも特徴のひとつです。田の神を迎えるのは稲の収穫後の12月5日(旧暦では11月5日)であり、田の神を送るのは2月9日(旧暦では正月9日)です。なおアエノコトは1976年に重要無形民俗文化財に指定され、2009年にはユネスコの世界無形遺産に登録されました。
事八日
一般には12月8日が事収めで2月8日が事始めですが、関東ではその逆のところもあります。いずれにしても正月をはさんでその前後の月の8日におこなわれるマツリゴトであることに変りはありません。もともとは旧暦行事として霜月と正月の8日に実施されていました。そしてコトノカミと総称される妖怪や悪神(一つ目小僧、風邪の神、疫病神など)を防ぐ手立てとして、目籠を掲げたり、ヒイラギに刺したイワシの頭などを魔除けとして戸口や軒下に吊るしたりしてきました。ところによっては、恵比寿や大黒、あるいは田の神・山の神が訪れるといって、赤飯や餅などをお供えする風習もみられました。
また事八日に針供養をする風習も全国的にみられます。針仕事を休み、折れたりして使えなくなった針を豆腐などに刺し、社寺に納めるという民俗行事です。ルーツは中国にあり、平安時代には寺院で行われていたといわれていますが、江戸時代中期以降、和歌山県の淡島信仰を通して広まりました。淡島神社は女性に関する病気や安産、子授け、人形供養、あるいは裁縫の上達に霊験があるとされる神さまです。他方、北陸にはハリセンボンという魚が浜にあがるという伝承があり、とくに12月8日は海が荒れる日とみなされているようです。
京舞の事始め
京都では京舞井上流の「事始め」が師走の風物詩としてつとに有名です。12月13日の行事ですが、一年の締めくくりであり、また正月に向けての準備として、芸妓・舞妓さんたちが鏡餅などを持参して家元の井上八千代師宅を訪問します。彼女たちは「おめでとうさんどす」と挨拶し、師匠は「おきばりやす」と励まし、舞扇をご祝儀として手渡します。そしてひと月後の1月13日には「初寄り」と称してふたたび家元宅に集まり、お屠蘇と雑煮で正月を祝い、さらなる精進を誓い合います。
このように事八日は年末年始の行事として全国各地に定着していましたが、昨今では祇園の「事始め」ぐらいしかマスコミでは取り上げられないようです。アエノコトも2024年元日の能登半島地震の影響がいかばかりかと、気をもむばかりです。

中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書に『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)、『こよみの学校』全5巻(つくばね舎)、編書に『世界の暦文化事典』(丸善出版)など多数。