沖縄の暦、砂川暦
砂川とは沖縄県の宮古島にある地名です。「すながわ」ではなく「うるか」と読みます。そこには一種の絵暦が伝えられていて、島の南部一帯でつかわれてきました。南部の絵暦―田山暦や盛岡暦―よりもさらに狭い範囲でもちいられていますが、すべて筆による手書きで、木活字(もっかつじ)や木版とも無縁です。

この暦にはたしかに月日と曜日が記されていますが、それが目的ではなく、むしろその日の吉凶を知るためのものです。上段から下段にかけて見ていくと、まず新暦の曜日が月・火・水・木・金・土とならび、その下に算用数字で日付が記されています。次の段に大きく「七月大」とか「八月大」とありますので、旧暦を基本にすえていることがわかります。右端の行が朔日で、左端が月の末日となります。問題は、この枠のなかに記号がつかわれていることです。どういう記号かを示したのが次の図です。

これは五行をあらわす記号ですが、「え(兄)」と「と(弟)」は同じです。つまり十干であることがわかります。ちなみに『琉球国由来記』に載っている「天人文字」の記号は下のとおりです。

よく似ていますので、砂川暦が「天人文字」に由来することは明白です。そして以下の十二支の記号もまた「天人文字」を模したものですが、若干のちがいも認められます。

十干十二支以外にも特殊記号がもちいられています。それは9種類あります。

それらの記号の下にさらに漢字で吉凶の判断が書きこまれていますが、内容的には神仏祭祀、婚姻、開店、移転、建築、旅行、農事などにかかわっています。この欄が暦の中心であり、指示が具体的です。次の段は十二直で、これはひらがなで記入されています。最下段は六輝ないし六曜で、もちろん漢字表記です。
「天人文字」の由来
ちなみに「天人文字」の由来については『琉球国由来記』に「この国に天人が降臨し、ぞくに時双紙(ときぞうし)という占書を教えたときに、文字も教えられたという。その字は数百あった。しかし天人が教えた占書を占者がまちがって用いたので、大いに怒り書を引き裂いて天に昇ってしまったため、その残片が残った。それを巫覡(ふげき)が月日の選定に用いており、その文字の例が…」と述べられ、例示されています。
沖縄ではいまでも旧暦が使われており、年中行事や吉凶の判断などに重要な役割をはたしています。琉球国の時代、中国に朝貢し、毎年、暦を受領していた関係で、その影響が今日でも強く残っているのです。砂川暦はその一例ですが、琉球国以来の伝統である特殊記号をいまに伝えている点でとてもユニークです。
【参考文献】
渡邊欣雄「砂川(うるか)暦―世界に通用しうる絵暦」『マルチカレンダー文化の研究―日本を中心に』(科学研究費補助金成果報告書)(研究代表者:中牧弘允)国立民族学博物館、2006年

中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。