「私が生涯をかけて待ち望んでいたのは、ただこの日のことだ!」
世界で初めて人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げ、その宇宙からの通信音を耳にした時にソ連(現ロシア)の宇宙開発の総指揮者セルゲイ・コロリョフは叫びました。
1907年1月12日はロシアのロケット開発の第一人者ともいえる人物「セルゲイ・コロリョフ」が誕生した日です。
世界初の人工衛星打ち上げに続き、世界初の有人宇宙飛行のロケット開発にも成功した彼の栄光、そして彼が亡くなるまで伏せられていた壮絶な人生についてご紹介します。

父母の不仲と別離、祖父母に預けられて育った不幸な生い立ちの彼は、6歳の頃、祖父に連れて行ってもらった初期の飛行機の公開ショーに魅了され、パイロットになりたいという夢を抱きます。
第一次大戦後に学校に通い始め、大学ではソ連の飛行艇における天才設計士と言われたアンドレイ・ツポレフに師事し、コロリョフは類まれなる機体設計の才能を発揮しました。
ところが、ソ連はスターリンによる粛清国家に変わり、ロケット開発の仲間、エンジン設計士であったバレンティン・P・グルシュコたちにコロリョフは無実の罪で告発されてしまいます。
そして投獄され、長い囚人生活とひどい拷問にすべての歯が抜け落ち、衰弱してしまいました。

恩師のツポレフたちによる嘆願で、なんとか死の境からは脱出できたものの、今度は自身を無実の罪で訴えたグルシュコと共に再び、爆弾をのせるためのロケットの開発に従事させられます。
そして、宇宙開発の第一人者フォン・ブラウンがアメリカに亡命する際に当時のナチスドイツに残していった「V-2ロケット」を、さらに超えるロケットをつくれとソ連政府に追い立てられました。
自分を陥れた者と手を組み、開発したのが「R-1」「R-2」…と続くロケットのシリーズ。
フルシチョフ政権下では「R-7」ロケットが大陸間弾道ミサイル(ICBM)として開発を許されますが、コロリョフの目的は別にありました。

それは、世界で初めて「人工衛星」を打ち上げること。
ミサイルの射程距離に満足している政府に、コロリョフは一度は退けられながらも、衛星を打ち上げる計画について熱弁します。
そして「衛星打ち上げを実現する世界最初の国家になること」を押し出して交渉することで、彼はその了承を取り付けることに成功したのです。

人工衛星「スプートニク1号」が宇宙から小さな声を送ってきたことは、ソ連の技術が宇宙に達したという脅威を世界中に知らしめました。
コロリョフは癖のあるエンジニアを統率するのに優れていて、製作中の衛星を貴重なものを覆うようにベルベットの布で覆い、特別なものを我々はつくっている!と意欲的に仕事に取り組ませるなど、人々の心を見事に掌握していたそうです。
兵器としてのロケット開発ではなく、軍事を利用しながら宇宙を目指した姿はアメリカのロケット開発者フォン・ブラウンの姿と重なります。
ソ連の脅威的な宇宙開発は、コロリョフが腫瘍の手術中に命を落としたことで勢いを失っていきました。

彼の「R-7」ロケットは現在でも国際宇宙ステーションに向かう時に使われるロケット「ソユーズ」などの原型になりました。抜群の設計による「最も多く打ち上げられた、世界一安全なロケット」として知られています。
世界初の人工衛星打ち上げ、月と惑星への飛行、有人宇宙飛行、人類初の宇宙遊泳成功に関わり、達成に尽力したセルゲイ・コロリョフ。
宇宙への足掛かりを築いた偉大な人は、ソ連当局によって亡くなるまで名前が伏せられていましたが、今では匿名から解放され、ロシアの英雄として知られています。
