行く、逃げる、去る
「2月は逃げる」といわれるように、たった28日しかありません。30日か31日のつもりでいるとえらい目にあいます。ちなみに1月は「行く」、3月は「去る」といわれ、語呂合わせからきた表現ですが、年度末の3カ月はたしかに早く過ぎ去っていく感じがします。
「ロムルス暦」古代ローマ、1年が10ヶ月の暦
古代ローマでは2月が年末でした。借金の返済をするだけでなく、暦の日数も帳尻を合わせていたのです。 ローマの暦はロムルスにはじまりヌマにひきつがれ、ユリウスによって完成します。 ロムルスはローマの語源となった建国者の名前です。オオカミの乳で育ったとされる双子の兄弟の兄のほうです。いまでも雌オオカミの乳を吸う双子の像がお土産として人気があります。そのロムルス暦は春からはじ まります。しかし、30日と31日をほぼ交互に配した10カ月しかなく、冬至を過ぎた2カ月は文字どおり「冬眠」していました。
「ヌマ暦」ヤヌスとフェブルアリウスを加えた12ヶ月の暦
暦の上での「冬眠」はさすがに長続きせず、次の皇帝ヌマ・ポンピリウスは紀元前710年に1年を12カ月とします。これがヌマ暦です。あたらしく加わったふたつの月はヤヌスとフェブルアリウスと名付けられました。ヤヌスは双面の門神であり、「おわり」と「はじまり」をあらわす二つの顔をもっていました。たほう、フェブルアリウスは贖罪(しょくざい)の神であり、戦争のつぐないをする祭りが奉じ られる神でした。罪も負債もあがなうのがこの月だったのです。それにくわえ、暦日の帳尻を合わせるのもたいせつな役割でした。というのも、ヌマ暦は太陰暦で、1年は355日ときめられていました。そこでフェブルアリウスを28日とすることで調整をはかったのです。
ヌマ暦からおよそ300年後、13番目の月「閏月」生まれる
太陰暦の1年、355日では太陽の運行との誤差が生じ、季節が合わなくなります。そこで、紀元前400年頃から閏月を入れて解決をはかろうとしました。その際、古代ローマ人はフェブルアリウスの月の23日と24日のあいだに閏月を2年ごとに入れたのです。ところが、この置閏(ちじゅん)法は神官の特権とされていたため、閏月を入れるか入れないかが負債や任期の恣意的運用につながっていました。それをただしたのがローマの執政官ユリウスです。
「ユリウス暦」太陰暦から太陽暦へ
ユリウスとはユリウス・カエサル、つまりジュリアス・シーザーのことです。ユリウスは恋した女王クレオパトラの国、エジプトから太陽暦の導入をはかります。そして、紀元前46年、ユリウス暦が誕生します。1年は365日となり、4年に一回、閏日がもうけられました。それが2月29日なのです。暦日のつじつま合わせはまたもやフェブルアリウスに託されたという次第です。

中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書に『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)、『こよみの学校』全5巻(つくばね舎)、編書に『世界の暦文化事典』(丸善出版)など多数。