さまざまな一月
1月のことを正月と言うこともあれば、睦月と旧暦風に称することもあります。なぜ正の字を使うかについては、「ただす」という意味で、年が改まることから正月となったという説があります。また、政治に専念した秦の始皇帝の誕生月であることから、「政月」と言っていたものが「正月」と書かれ、音があらためられたという説もあります。睦月のほうは、上下の別なく、老若男女が親しく集まって楽しむ「むつびづき」がなまって「むつき」となったという説が有力です。しかし、「元つ月」の略であるとか、「萌(もゆ)月」の約されたものであるとか、「生(うむ)月」のことであるとする説もあります。あるいは、稲の実をはじめて水に浸す「実月」であると主張する言語学者もいます。
大正月と小正月
正月にはまた大(おお)正月や小(こ)正月、旧正月や一月正月といった呼び名があり、一筋縄ではありません。大正月は元日を中心とする7日までの松の内を指し、小正月は15日前後の二番正月を意味しています。旧暦では大正月は朔、小正月は望にあたり、前者の行事は暗闇で、後者のほうは満月のもとでおこなわれていました。たほう、旧正月というのは旧暦の正月のことで、中国では春節と称しています。これにたいし一月正月というのは、新暦(グレゴリオ暦)の正月を意味し、現行の正月のことにほかなりません。
年末年始の休暇は日本だけ?
明治6(1873)年の改暦で旧暦(天保暦)から新暦=西暦にかわったとき、旧暦の大正月がそのまま新暦に移行した結果、正月の三ガ日は休み、4日を仕事始めとする習慣が定着するようになりました。年末の休日を合わせると約1週間の休暇になります。グレゴリオ暦の年初にこれだけ忠実な国は日本をおいてほかにありません。意外に思われるかもしれませんが、キリスト教文化圏の欧米、中南米、さらにはオーストラリアやニュージーランドなどでは、クリスマスが長い休暇です。元日は暦の上の祝日にすぎず、大晦日の深夜に花火をあげたりはしますが、ふつう2日には日常生活に戻ります。中国や韓国、台湾など太陰太陽暦の文化圏でも旧正月=春節のほうがずっと重要で、長期の休暇に入ります。韓国では、1月1日は単発の祝日でしかありません。
年賀状での新春のなぞ
明治の日本は江戸時代の大正月をそのまま新暦にスライドして祝うことにしました。年賀状に季節感を無視してまでも新春と書き、その一方では本格的な冬支度をするといった矛盾した行動をとっているのです。それはなぜでしょうか。ひとつには、近代化=西欧化を国是とし、中国文明からの離脱をはかったことに起因しています。明治以来、脱亜入欧、欧米に追い付き追い越せが合言葉となりました。明治政府にとって富国強兵、殖産興業のモデルは中国ではなく欧米でした。時間のリズムも当然、グレゴリオ暦や24時間定時法にあわせることに疑問の余地はありませんでした。
都市文化の影響
もうひとつの要因は、大正月がもともと江戸では率先して祝われていた都市の習俗だったからです。もっとも、寛文2(1662)年には正月7日をもって飾り納めとする通達を江戸城下に出し、それなりに短縮化をはかっています。とはいえ、武家や町人がもっぱら祝うのが大正月であり、農民は小正月に重きをおいていました。明治新政府は江戸、すなわち東京に拠点を構え、都市を中心とした文化・文明を構築しようとしたのです。つまり、近代化=都市化を志向し、農業から工業へと基幹産業の転換をはかろうとしていました。それゆえ、小正月は軽視され、大正月に正月行事が集中するようになり、それが全国の諸都市に広まっていったのです。大正月が象徴するのは都市文化にほかなりません。
大正月を西暦にあわせて大真面目に祝う国、日本は、西欧化、工業化、都市化をスローガンとする近代化に邁進していったのです。つかのまの正月休暇を講じながら。
中牧弘允
文化人類学者・日本カレンダー暦文化振興協会理事長
長野県出身、大阪府在住。北信濃の雪国育ちですが、熱帯アマゾンも経験し、いまは寒からず、暑からずの季節が好きと言えば好きです。宗教人類学、経営人類学、ブラジル研究、カレンダー研究などに従事し、現在は吹田市立博物館の特別館長をしています。著書『カレンダーから世界を見る』(白水社)、『世界をよみとく「暦」の不思議』(イースト・プレス)など多数。